創作夢

□君がヤンデレを好きだと言うので
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 ヤンデレとは――好きな人に対しての愛が重く、好きすぎるあまりに病んでしまっている、主に創作物のキャラクターのこと。

 僕の好きな人、香坂さんがそのヤンデレを好きなことは前から知っていた。
 今週末に行われるハロウィンパーティーでの仮装に悩んでいた僕は、香坂さんが提案してくれた殺人鬼の仮装をして彼女の前に棒立ちしている。
 血飛沫を浴びた制服を着て、手に握っているのは赤く染まった包丁。カラーコンタクトで赤い瞳にして、前髪は片方の目が隠れるようにセットした。

 殺人鬼……という言葉で濁されているが、これは香坂さんの思い描く理想のヤンデレの仮装だった。他にも、透き通るような白い肌に、目の下の薄っすらとした隈、右目横の泣きぼくろ。長く細い指に、血管の浮き出た手の甲など……細かく指定された内容には彼女の好みがこれでもかと詰め込まれている。
 僕には再現不可能なものもあったけれど概ね再現できた。特に血糊にはこだわり、リアルな返り血の雰囲気を出せていると思う。

「いい…っ!久世くんすごい!似合ってるよ!びっくりしすぎて一瞬固まっちゃった」

 香坂さんはひと呼吸置いてからパッと顔を輝かせた。香坂さんをいつも見ているから知ってる。これはお世辞の愛想笑いではなく、心から思ってくれているからこそ出る笑顔だ。
 予備として購入していた制服を一式、血糊で犠牲にした甲斐があった。

「あ、ありがとうございます……」

 あぁ、本当は飛び上がりそうなほど嬉しいのに。香坂さんから目を逸らし、お礼を伝えることしか出来ない無愛想な態度は感じが悪く映っただろう。
 ただでさえ口下手な僕は香坂さんを前にすると緊張して余計に話せなくなってしまうきらいがある。
 それでもにこにこ笑いながら褒め続けてくれる香坂さんの魔女の仮装もとても似合っていて可愛いからそう伝えたいのに「そ、そうですか……」なんて、つまらない相槌ばかりが口をつく。気の利いた言葉は出てきそうになかった。

「ねぇ!久世くんさえよかったらさ、ペア仮装にしない?せっかく二人で運営委員なんだし……私は魔女やめて、ヤ……っ殺人鬼の人質役するから!」
「は、はい……僕はいいですよ……」
「やった。ありがとー!」

 今ヤンデレって言いかけた……と思いながらも肯定すると、香坂さんは飛び跳ねて喜んでくれる。とびきり愛おしい姿に胸が苦しくなってそっと目を閉じた。
 怖いくらい幸せだな。この時間がずっと続いてほしい。香坂さんと二人でハロウィンパーティーの実行委員という役割を任されてから僕は何度この幸せを噛み締めたことだろう。

 うちの高校の毎年恒例の行事であるハロウィンパーティーはそれぞれのクラスから実行委員を二名選出する。
 大体の生徒がハロウィンを楽しみにしていると思うが、実行委員の立候補者はいない。実行委員はハロウィンまでの二週間、ほぼ毎日居残りして準備を進める必要がある。誰もやりたがらないのは当然のことだ。
 不運にもその日病欠していた香坂さんは勝手に当確にされて、もう一枠は恨みっこなしのくじ引きで決めることになった。
 結果、香坂さんと一緒に実行委員になれる権利を掴んだのは隣の席の三浦くんだったのだが、押し付けられる形で僕はその幸運を手に入れたのだ。

 しかし浮かれていたらいけない。香坂さんを笑顔に出来たのはハロウィン限定の魔法のようなものだ。
 31日を過ぎたら魔法は解ける。地味な僕はまた香坂さんのクラスメートの一人に戻り、話す機会を失うだろう。
 このまやかしを永続させるには僕が身も心も香坂さんの理想のヤンデレになる必要がある。そのためには衣装はもちろん立ち振る舞いも完璧に仕上げなくては。
 帰ったら早速研究をしよう。香坂さんの笑顔を眺めながら僕は固く胸に誓った。



 家に帰って早速ツイッターを開いた。僕が作ったオリジナルのヤンデレ男子botは一時間に一度、自動でヤンデレ風の台詞をツイートするように設定している。
 そこに手動で新しい呟きを追加していく。

『ハッピーハロウィン!ねぇ、さっきあげたお菓子の中に何が入ってたと思う?』
『おかえり。今日も一日君のこと見てたよ。』
『これ以上無防備な笑顔見せないでよ。我慢できなくなっちゃうよ。』
『僕は君のことが大好きなのにどうして君は同じ気持ちでいてくれないの?』

 アカウントを作ったのは半年前。頻繁に台詞を増やしてきたおかげでフォロワーは期待より伸びていて、数秒前にしたばかりの呟きもすぐに拡散されていった。
 その中には香坂さんのアカウントも含まれていた。彼女のアイコンは片目を隠した黒髪、赤目、包丁を持って笑みを浮かべているヤンデレ男子のイラストだ。
 さっき覗いた際は動いていなかったが丁度ツイッターを開いたらしい。

 ヤンデレ関連のゲームの情報やイラスト、萌え語りが片っ端からリツイートされている。僕の呟きに対しても「尊い」と反応してくれていた。
 尊い……香坂さんが僕のこと「尊い」だって。嬉しい。嬉しいな…!
 体の内側からじわじわと溢れ出てくる喜びを押さえられず、スマホを抱きしめながらベッドの上で何往復も寝返りを打つ。

 botを作り始めたばかりの頃は他のアカウントの見よう見まねだった。けど、最近は僕の心情を身バレしない程度に多少ぼかしながらそのままに呟いている。
 呟きに込めた僕の密かな告白が香坂さんに受け入れられている。それどころか好ましく思われていることが嬉しくてたまらない。プリントアウトして部屋に貼ろう。


 しばらく余韻に浸った後、アカウントを切り替えた。ヤンデレ男子botの中の人という体でやっているアカウントだ。
 香坂さんとは相互フォローの関係性で、ツイッター上のみでの交流ながらそれなりの信頼を築けている。
 というのもこのアカウントの香坂さんは普段とのギャップが激しく、基本的に言葉遣いが悪い。ツイートの大半が下ネタだし、「成人済み」と嘘の記載をしてR指定の作品を堂々と見ている始末だ。

 全方位に喧嘩を売るような過激なツイートや愚痴を言うこともある。「ヤンデレネタくれくれ。自分もたまにはSS投下するかもお題箱」に中傷が届いた際には僕は彼女を熱心に励まし、味方でいた。……まぁ、中傷メッセージを送ったのは僕なのだが。
 香坂さんはかなりのツイッター依存症だからやめてしまう心配はなかったし、僕の狙い通り仲良くなれた。

『右端の男の子3に似てる。』
『3がかっこよすぎてつらい。』
『3しか勝たん!』

 今日も活発にオタク活動に励んでいる様子の香坂さんが、いつもの「3」というキャラクターについての叫びを連投し始めてタイムラインを荒らしている。
 香坂さんは飽きやすいタイプだ。日替わりで推しが変わることも珍しくないのに3だけは彼女の一番であり続けていた。
 香坂さんが今のアカウントを使い始めてから一年弱。気が遠くなるようなツイート数になっているが過去には全てさかのぼったことがある。3の話題は最初期から絶えることなく出ていた。

 香坂さんの影響で僕もヤンデレ要素のある作品やキャラの知識は豊富だ。しかし3というキャラクターには覚えがない。
 一度聞いてみたこともあるけれど、いずれ話すねとごまかされている。香坂さんの理想を目指そうとしている僕にとって無視できない存在だった。


 タイムラインに並んでいた作品を研究がてら鑑賞し終わった頃には香坂さんのツイートは止まっていた。
 さてと。僕は香坂さんのもう一つのアカウントのIDを検索バーに入力した。ついさっきまでやりとりしていたらしいクラスメートの女子のツイートが引っ掛かる。
 やはりリアルの知り合いと繋がっているアカウントの方に移動していたようだ。

『おつおつ。仮装見せあったの?』
『気早いな。どうだった?』
『そんなに言うなら見てみたい』

 香坂さんのアカウントの方は鍵がかかっているから見られないが、相手の女子が送っている内容で何の話をしているのか察することが出来た。恐らく今日、僕とした仮装の見せ合いっこの話だ。
 気が早いのは僕のせいだった。殺人鬼……ヤンデレの仮装をすることを提案してもらったものの不安だったから事前に見てもらえないか頼んだら、香坂さんは「私も着てみたかったんだ。明日の放課後二人で試しに着てみようよ」と快諾してくれた。

 香坂さんはなんて返事をしたんだろう。"そんなに言うなら見てみたい"というのは良い意味とも悪い意味とも取れる。
 本人を前にして否定は出来なかっただけで本心は違ったかもしれない。こんなのヤンデレじゃないと本当は思っていたのかもしれない。いや、あれは本心からの笑顔だった。悪いと思ってたらペア仮装の提案なんてしない。いやいや、時間が経って冷静になったら微妙に思った可能性だってあるだろう。
 頭の中が不安で満たされていく。自分では結論の出ない考えがぐるぐる回る。

 どうしても気になる。ここで確認しておかなかったら明日香坂さんと顔を合わせた際に今まで以上に上手く話せないだろう。
 もう二度としないと決めていた方法に僕は無意識に手を出した。


 不正ログイン――以前に鍵アカの中身が見てみたくて一度したことがある。ログインに必要なのは香坂さんのメールアドレスか携帯番号、パスワードの情報。

 ラインも交換してない僕がアドレスや番号なんて知っているはずがない。だけど、鍵アカのIDとGメールアドレスが同じことは突き止めていた。
 香坂さんは何にでもこのIDで登録しているのだ。ゲームのプレイヤー名や他のSNSのユーザー名だったり、英数字を入力してアカウントを作る必要がある場合は大体同一のIDを使用している。
 だから僕はツイッター以外にも香坂さんが利用しているサービスをいくつも把握していた。パスワードに設定しそうな情報もたくさん持っているから何度か試しているうちに、なんと突破できてしまったのだ。

 しかし、他の端末からログインされたという通知は香坂さんに届いてしまったから、彼女はオタク活動用のアカウントでも「別アカで乗っ取りされた〜」と大騒ぎだった。
 私もそれたまにある。お題箱とかツイッターの連携アプリを利用してるならそういう通知が届くことがあるっぽいよ。時間差で来ることもあるし、ログインの場所も全然違うからびっくりするよね。と、信用している僕からのもっともらしいリプライで安心したようで、香坂さんはその後パスワードの変更すらしていない。

 だから今回も同じ要領で鍵アカにログイン出来た。フォローもフォロワーも女子だけ。メンバーに変動はなさそうだ。
 アイコンはパンケーキ、ヘッダーはタピオカの写真。トップに固定されたツイートには友達四人でディズニーランドに行った思い出の写真。この笑顔と対面すると、本来してはいけないこと、見てはいけないものに手を出している罪悪感が体に重くのしかかる。
 僕はベッドに仰向けに寝転がり、頭上に掲げたスマホを薄目でチラチラと見ながら彼女の呟きを確認していく。

『ハロウィン楽しみ!実行委員がんばってるよ』
『見せあったよ』
『くぜくんの仮装よかったよ!まじで思い描いてた通りだった。31日は一緒に写真撮ってもらいたいな!』

 香坂さんが友達に送っていた返事を目に入れた瞬間、抱いていた罪悪感を吹き飛ばす安心感と幸福感が一気に押し寄せてきた。全身の力が抜ける。

「っ、痛ぁ……」

 掲げていたスマホは当然のように鼻の上に落ちてきて、僕に手痛い罰を与えた。鼻の奥がツンと熱くなる。

「わ、わ……ティッシュ……」

 慌てて手に取ったティッシュを鼻に当てればあっという間に赤く染まっていく。思ったより大惨事で、鼻血はなかなか止まらない。それでも今の僕はにやけてしまっているに違いなかった。
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