創作夢
□可愛い後輩の頼みでも、さすがにヌードモデルは困ります
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夏休みに入り、普段は緩く活動している美術部もコンクールに向けた作品制作に集中していた。三年が引退し、新しく部長になって張り切っている私だけではなく、他の部員達の部活への参加率も高い。
それは新入部員の男子の影響が大きかった。幼い頃から数々のコンクールで賞を総なめにし、将来を嘱望されている天才が我が美術部に入部してきたのだ。
うちの高校の美術部は伝統も実績もないから何故?と疑問ではあるが、みんな彼の存在に刺激を受けていた。
「さっすが天音先輩です! この猫ちゃん生き生きとしてて今にも動き出しそうですね。先輩らしいやわらかくて温かみのある絵で、すごく魅力的です」
「そ、そうかな。失敗したところを少し手直ししたら完成なんだ」
「ぜっっったい素敵な作品になりますよ! 仕上がりが楽しみです」
一番乗りで描き上げたコンクール用の絵を前にして受ける誉め殺しに私は若干浮かれていた。お世辞だとしても件の新入部員、宮園千晶(みやぞの ちあき)に絵を誉められて悪い気はしない。
今回描いた猫の絵は自信作だ。千晶の存在も相まって、いつもならあまり気にしていないコンクールの結果も多少意識している。
千晶のおかげで、"緩く楽しく自由に"が基本方針だった私含む部員達のコンクールに対する意欲が上がっている。
ただ、純粋に絵にかける情熱とは違う側面が強いのもまた事実で……
「千晶くん次はあたしの絵を見てよー!」
「ねぇ、千晶くん。よかったらアドバイスしてほしいな」
「あっ、私もお願い!」
「千晶くん、私も私も」
美術部に突如として現れた天才は絵の才能があるだけでなく、色素の薄い髪と瞳を持ち、目鼻立ちの整った美少年ときている。
男子の部員が千晶も含めて二名しかいない美術部で人気を集めるのは当然の流れだった。千晶を呼ぶみんなの楽しそうなことといったらもう。
みんなが張り切っている理由が千晶へのアピールのためだったとしても、間違いなく部全体が活気づいている。千晶効果で今年の新入部員は去年の三倍に増えたし、これはこれでいいのかもしれない。
「千晶くん、千晶くん!」
「早くこっち来てよー!」
「ぴーちくぱーちくうるさいな」
千晶が愛想良く手を振りながら、みんなには聞こえない小さな声で呟く。実は結構いい性格をしているとしか思えない後輩の言葉に、私は一人背筋を凍らせた。
「い、行ってあげたら?」
「そんなぁ……天音先輩は僕のことが嫌いなんですかぁ?」
「いや! 嫌いとかじゃないよ」
「嫌いじゃないなら、好き……ですか?」
首を傾げ、捨てられた子犬のような目で見つめてくる千晶は、自分が特別に容姿が良い人間だという自覚があるとしか思えない。
「ま、まあ。普通に好きだけど……」
この目で見つめられれば私がこう答えるしかなくなることをわかっているのだ。
「やったぁ! じゃあ先輩にくっついててもいいってことですよね。僕も先輩がだぁい好きです!」
途端に笑顔になった千晶が私の腕に抱きつくと「天音ばっかりずるいぞー」と、私と仲の良い同級生から野次が飛ぶ。
どういうわけか入部初日から私だけ妙に千晶に懐かれている。聞こえない振りをして肩に頬を擦り付けてくるこの可愛い後輩に、四月からずっと振り回されっぱなしだ。
「あ、香坂と森戸は第二美術室に来てくれ。ちょっと話がある」
部活が終わり、帰りの支度をしていると顧問に呼び止められた。
千晶が入部するまで唯一の男子部員だった森戸(もりと)はここのところめっきり影が薄くなったと言われているが美術部の副部長だ。
部活の間中私の隣にいた千晶はあからさまな舌打ちをしてから「お話が終わるの待ってますね」と可愛らしく微笑んだ。去り際、牽制するように森戸を睨み付けることを忘れなかったけれど。
「千晶がスランプ……」
「ああ。コンクールの締め切りまであと十五日だっていうのに何を描くかも決めてないみたいなんだ。あれは相当思い悩んでるな」
「そ、ですか……」
先生から聞かされた話にショックを隠せない。確かに最近の千晶は私に付きまとってばかりいて、全然絵を描いていなかった。
あんなに慕ってくれている後輩がスランプで悩んでいたというのに気付いてあげられなかったなんて先輩失格だ。
「あいつ神経図太そうですよ? スランプなんてタマかなぁ……」
「ちょっと森戸!」
「何言ってるんだ。宮園って見るからに繊細そうじゃないか。まあ、そういうわけだから宮園のこと何となく気に掛けておいてやってくれな。特に香坂はコンクールの作品がもうじき完成で手が空くだろ? よろしく頼むぞ」
「はい」
「繊細? ないない! 見かけに騙されてますって。さっきだって俺をすごい目で見――」
私は多分さっきの千晶と同じか、それ以上に鋭い目つきで森戸を睨んでいたことだろう。「はいはい、わかりましたよ」と森戸も渋々頷いた。
「あっ、やっと出て来たぁ! 五分五十二秒振りですね。寂しくて死んじゃうところでしたよぉ」
「お待たせ、千晶」
「えへへっ、お帰りなさい」
ドアを開けるなり胸に飛び込んできた千晶が私の目を見つめ、にこりと笑う。
「天音先輩、もう僕達二人しか残ってませんよ。ね、一緒に帰りましょう?」
「おい。三人だろ、三人」
「へ?……あっ、いたんですか森戸先輩。影が薄すぎて気付きませんでした」
「お前なぁ……」
森戸にしれっと嫌味を言う千晶はむしろ絶好調に見えるけど、本当にスランプで悩んでいるのだろうか?
私が思うスランプ中の人間のイメージからはどうにもかけ離れている。でも、無理して明るく振る舞っているだけかもしれない。
二人で帰ろっかと改めて提案すると、千晶は勝ち誇ったような表情で「お先でーす」と森戸に告げた。
▽
「あーあ。毎日部活があったらいいのになぁ……次の部活まで先輩と離ればなれで生きていける自信ないです」
分かれ道に差し掛かると千晶はため息をついた。夏休み中の美術部の活動日は月水金の週三日だ。
「次は明後日だよ。すぐだってば。それにラインでも電話でもいつでもしてきてよ」
「いつでもですかっ?」
千晶の肩をぽんぽん叩いて励ましながら、私は内心迷っている。スランプのことを聞いてみるか、千晶が相談してくれるのを待つべきか……。
「それなら今日から鬼電しちゃお」
「お、お手柔らかに……あ。ミケ!」
私達の前を白黒茶色の毛並みをした猫が澄ました顔で横切っていく。学校帰りによく見かけるその野良猫を私はミケと呼んでいる。しゃがんで手招きするとすぐに寄ってきた。
ミケは黒い毛が茶色より多めで、三毛猫としては多分あまり毛色のバランスはよくない方だ。そんなミケの個性的なまだら模様の毛並みを見ると絵を描きたい衝動に駆られるのだ。
「わあっ、かわいー! この子ってコンクールの絵のモデルの猫ちゃんですよね?」
「うん。よくモデルになってもらってるんだ。今からここでミケを描いてくね」
「僕も残って見てていいですか?」
私は頷いて、鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出した。千晶がにこにこ笑いながら「ありがとー。君のおかげで先輩のそばにいられるよ」と言ってミケの喉を撫でる。
気持ち良さそうなミケの姿を白紙のページに写していく。表情豊かなミケを描いていると手が止まらなくなるのはいつものことだ。
一枚目はリアルにデッサンし、二枚目は自分流にデフォルメして描き上げた。三枚目はどうしようかとミケを観察していたら、同じように私をじっと見ている視線に気付いた。
「天音先輩って、本当に楽しそうに絵を描きますよね……描き手のそういう思いって絵を通して伝わってくるじゃないですか。だから僕、去年初めて先輩の絵を見た時に感動して泣いちゃったんです」
「泣いた!? え、去年ってまだ千晶と会ったことないよね?」
「区の美術展覧会です。僕は応募してないんですけど知人に誘われたので行って、先輩の絵を見ました」
「あぁ……」
ミケを撫でながら懐かしそうに話す千晶の声は普段の高めの声ではなく落ち着いていた。私の脳裏に苦い思い出がよぎる。
去年の展覧会に出した作品は転校してしまう友達をモデルに描いた絵で、かなりの自信作だった。初めて最終候補まで残れたものの、選外という残念な結果に終わった。
大人も応募する展覧会の最終候補に残れただけでも奇跡だ。しかし、会場で見た入賞作品はもちろん、他の最終候補のレベルがあまりに高くて、私の絵の場違い感に落ち込んでしまった。
あの会場で千晶も私の絵を見たのかと思うと気分が少し沈む。
「……天音先輩? 何考えてます?」
ふと視線を上げれば千晶が私の顔を覗き込んでいて、その距離の近さに驚いた。
「あ、あの展覧会、私なんか比べ物にならないくらい上手な絵ばかりだったなって! 恥ずかしくて自分の絵持って帰りたくなっちゃったよ」
早口になり、泳ぐ視線。私は落ち着かずにミケの尻尾の付け根を掻く。ここを触られるのが好きなミケが甘えるように鳴いた。
「"私なんか"なんて言わないでください。立派な額縁に入れられて人だかりが出来ていた入賞作品より、会場の隅っこにひっそり飾られていた先輩の絵が僕の心には強く残っています。なんて温かな絵だろう、僕はこの絵が好きだ、この絵を描いた人に会ってみたいって、そう思いました。天音先輩は僕の憧れの人なんです」
「っ!」
綺麗な薄茶色の瞳が私を真っ直ぐ見つめている。憧れなんて言われたのは初めてのことで、心臓が跳ねる。
同時に手に力が入り、ミケの尻尾を掴んでしまった。怒ったミケがシャーッと威嚇し去っていく後ろ姿を私はぼんやり見送る。