創作夢

□僕が天使だったなら
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 小5の道徳の時間に、人間の魂の重さは21グラムである……という話を聞きました。たったの21グラム。つまり人間の命は砂糖小さじ7杯分の重さと等しいのです。
 先生は授業の最後に所詮は根拠のない話であり、命の重さは量れるようなものじゃないと言いました。
 でも、私の命なんてきっとその程度の価値なんだと心のどこかで納得してしまったのです。


 屋上のフェンスを乗り越えるまでに6時間。端に立って眼下を眺めること更に6時間。高い位置にあった太陽はとうに沈み、時刻は深夜0時を回った。
 今日は学校をサボって退路をなくしたというのに私の意気地無し。あと一歩踏み出す勇気があれば。
 そう悔やみながら歩く帰り道、薄暗い高架下の柱の前で抱きあうカップルが目に留まる。

 人を好きになるって、人から好かれるって、どんな気持ちだろう。幸せなのかな。
 唯一の家族であるお母さんから"金食い虫のいらない子"と言われている私には、そんな幸せは想像も出来ない。あの女の子が羨ましいと純粋に思った。

 ランドセルの肩ベルトをぐっと握り、カップルの前を通り過ぎようとした時、恋人に抱きしめられている女の子の体が視界の端で動いた。
 背中に回されていた手を突然離された女の子はまるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ちて、私の足元に横たわる。
 ピクリとも動かない女の子。乱れた長い髪で顔は確認出来なくても彼女が息絶えていると何故だか直感した。

「こんばんは、小さなお嬢さん」

 ついさっきまで女の子を抱きしめ、肩に顔を埋めていた男の子が私の前に立っている。
 中学生……いや、高校生かもしれない。
 全身黒色の服と、闇と同化するような漆黒の髪。瞳は黒に映える鮮やかな赤色をしていた。
 弧を描く、赤い赤い唇。その色は何かによく似ている。
 高架下に強い風が吹いた。

「こんな夜更けに外を歩いていたら怖いお化けに食べられちゃうよ?」

 風が止んで、反射的に閉じた目を開く。

「っ!」

 信じられない。男の子の背にはコウモリを想起させる黒い羽が生えていた。そこでやっと真っ赤な唇の色を思い出した。
 あれは……血の色だ。男の子が唇を染めた血を舐め取り、微笑みを浮かべる。
 夜の闇を背負って微笑む彼は今まで見た何よりも美しく、そして神々しく見えた。

「でも困ったな。今お腹いっぱいだし、そもそも幼すぎて全く食欲をそそられない。だからと言って見られた以上は……」
「あ…なたは天使…?」
「え…?」
「ああっ、こんなに綺麗な天使様が迎えに来てくれるなんて…!さあ、あの女の子みたいに私も早く天国へ連れて行ってください!」

 今日自分で命を絶つ勇気も、明日を生きていく勇気もない臆病者の私を救ってくださる天使様。天使に導かれ死ねるなんてまさに夢のようで、幸福感で胸がいっぱいになる。
 私は思わず天使に詰め寄って、久しぶりに心からの笑顔をこぼしていた。
 でも、天使は眉を寄せて、

「君、壊れてるね」

 そう言い放った。途端に涙が溢れてくる。

「天使様どうかお願いです!見捨てないで…!」

 なりふり構わず縋り付くと目の前で揺れる瞳。表情は戸惑っているように見えた。
 "僕は天使じゃないよ"という声を最後に、意識は途切れた。


****


 築100年超の古びた洋館は、センスの良いアンティーク家具が置かれていて一見綺麗に見えるが、あちこちガタがきていた。
 ドアの取手が外れた部屋は3年前から開かずの間となっているし、1階の洗面所の水漏れは1年前から放置中、何度か修理している2階の廊下の床が再び抜けたのはつい2時間前のこと……

「よし、完璧」

 自分で壊して自分で直した床の出来に満足し、独り言を呟く。
 広い屋敷内の掃除と毎日何かしら壊れる床や家具の修理は私の日課となっている。おかげでノコギリとトンカチの扱いが上達してしまった。
 独り言も随分増えたような気がして少し空しく思いながら、後片付けを済ませた。

 余った木材と工具を抱えて薄暗い廊下を進む。壁に掛けられた時計を見ればまだ昼間の3時だけど、窓が一つも設けられていない屋敷内に太陽の光が射すことはなかった。
 階段前の廊下には雨漏りを受け止めるためのバケツがズラリと並んでいる。1ミリだって動かすことの出来ないバケツ達は増える一方で、避けて通るのが年々大変になっていた。
 本格的に引っ越しを考えた方がいいと、この廊下を通る度に思う。

 地下に続く階段を降りて、木材と工具を倉庫にしまう。
 地下に来たついでに起こそうかなと思い立ち、一際暗い廊下を進んでいく。
 突き当たりには立派な黒の扉が待ち受けている。この屋敷の主、シュリの寝室だ。
 今は3時だったか。夜の7時までは起こすなといつも口うるさく言われている。
 一瞬迷ったものの、まあいいかと思って扉を開けた。

「シュリーーおっはよーっ!そろそろ起きたらーー?」

 部屋に入るなり遠慮なく声を掛けると、中央に置かれた棺桶がガタッと揺れた。次いですごい勢いで蓋が開かれる。
 寝起きの悪いシュリの第一声に備えて私は素早く両耳を塞いだ。

「うるっさいよ!!バカ天音!!」

 上半身を起こしたシュリが棺桶の縁に手をついて叫ぶ。怒りを露にした声が密閉された部屋の中で反響し、突風が吹き荒れる。
 確かに起こすときは棺桶の足元の方を2回ノックし、反応がなかった場合はきっちり5分待ってから再び2回ノック、これをシュリが起きるまで繰り返せと言われているが、そんなことをやっていたら朝日が昇ってしまうだろう。
 風が少し落ち着いたのを見計らい、私は悪びれることなく現在時刻を告げた。

「ご、午後3時だって…?何度も言っているが僕は夜行性なんだ。こんな時間に起こされたら生活リズムが崩れるだろ」
「シュリって健康に気使ってたりするの?」
「まあね。基本的に僕は16歳から18歳の生娘の血しか飲まないようにしている……って、話を逸らすな!」
「ちぇっ、バレたか」
「全く……君は何年経っても子供のままだね」

 シュリは大袈裟にため息をついてみせるけれど、本当に子供のままなのはシュリの方だ。
 シュリと出会ったのは5年近く前の話になる。私は5年の間に背が伸び、胸も膨らんで大人の女性の体に近付きつつあるが、シュリはあの頃から少しも変わっていない。
 5年前に美しいと見とれた少年の姿のまま、時が止まっている。

 シュリは天使ではなくて不老不死の吸血鬼らしい。
 吸血鬼といえばニンニクが苦手、銀の弾丸や杭を胸に打たれたら死ぬという話を聞くが、シュリには当て嵌まらない。
 唯一日の光が弱点なのは事実で、この屋敷は太陽光を遮断した作りになっているし、外出も夜に限定している。日の光はシュリがこの世で最も恐れているものだ。

 私が彼の呼び方を"天使様"から、彼の名前である"シュリ"と変えるまでには1年以上掛かってしまった。
 僕は天使じゃないと言われても私にはどうしても違いがわからなかったのだ。
 私をこの世界から救い出してくれる存在ならば天使も吸血鬼もおんなじだ。

「16歳といえばさ、私来月の誕生日で16歳になるでしょ?だから今年の誕生日プレゼントのリクエストしていい?」
「何で僕が君にプレゼントをあげることが前提になってるの……まあ、聞くだけなら聞いてあげてもいいけど」
「やったあ!じゃあ、お願い。16歳の誕生日に私の血を吸って殺して?もうわがまま言わないし、言えないし、これっきりだから」
「却下」

 珍しく私のお願いを聞いてくれそうな兆しを見せていたシュリが急に不機嫌になって部屋から出て行こうとする。慌てて手首を掴んで引き留めた。

「どうして駄目なの?毎年なんだかんだでプレゼントくれるじゃん。去年はマリーアントワネットの血液とかいう全然嬉しくない物だったけど……」
「あ、あれの価値がわからないなんて…!バカ天音!」
「シュリのアホ!お願い聞いてくれないなら一生付きまとってやるんだからね」
「勝手にすれば」

 乱暴に手を振り払ってシュリは私の横を通りすぎていく。
 成人女性の全血液量は約4リットル弱で、その半分が致死量にあたり、シュリの5日分の食事になるという。
 たった一度2リットルの血を飲むだけで煩わしい私から開放されるのに……それほどまでに私の血は嫌なのだろうか。

「食事しに行くの…?」

 廊下に出たシュリに未練がましく声を掛ける。シュリが最後に出かけたのは5日前だから、今日誰かの血を吸うのだ。

「夜になったらね」
「ずるい……」

 私だって天国へ連れて行ってほしい。きっと私は今夜シュリの糧となれる顔も知らない同年代の女の子に嫉妬している。
 私の魂はたったの21グラム。軽い、軽い命。
 それでもシュリに血をあげられたら天使のように美しいシュリの体の一部になれる。こんな素敵な死に方他にあるはずないのだから。

「無理だよ。天音が何歳になっても食欲湧かないと思う」

 なんて残酷な言葉なんだろう。何度も聞いた言葉だけど、その度に涙で視界が滲む。
 シュリはまだ何か言いたげな顔をしてから暗い廊下に消えていった。
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