創作夢

□恋心は目に見えない
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 私は小学生の頃、いつも千尋を目で追っていた。たまに学校に来ては誰とも話さずに一人で読書をしている千尋が、どんな本を読んでいるのか何となく興味があったから。いつか声を掛けてみたいと思っていた。それをクラスの男子に見抜かれてからかわれたときに私の口から出たのは幼稚な言葉だった。
「千尋なんか好きなわけないじゃん。幽霊みたいに不気味だから見てただけだよ」
 何度思い出しても自己嫌悪に陥る。酷いことを言ったと自分でもショックを受けて、そのとき初めて私は千尋が好きだったんだと気付いた。自覚してからは好きな人がみんなにバレたらと思うと恥ずかしくて、千尋にだけあからさまに嫌な態度を取るようになった。

 あの頃の私は本当に子供だったと思う。少しは成長した今ならあんな態度は絶対に取らないだろう。でも、あの頃は子供だったから許してほしい。これからは仲良くしたいなんてあまりに虫が良すぎる話。
 せっかく高校生になって環境が変わったんだ。千尋は嫌な過去から解放されて新生活を送りたいはずだ。そう思って、千尋とは四月から極力関わらないようにしている。
 私は今もまだ、消化不良の初恋を引きずったままだけれど。

「文化祭…?まだ誰とも約束してないからいいけど……」
「っしゃあ!約束なっ」
「話ってこれだけなの?」
「ん?まあな」

 空き教室に一脚だけ置いてあった椅子に座らされた私は、ガッツポーズして喜んでいる伊波に面食らった。放課後に話があるなんて言うから何事かと思えば、単に今度の文化祭を一緒に回ろうというお誘いだったとは。

「他に誰誘う?私以外でもう決まってる人っているの?」
「そうじゃなくってさ、俺と香坂の二人で文化祭回ろうって誘ったんだけど?」
「そ、そっか。二人で、ね……」

 私に顔を近付けた伊波はムッとした表情をしながらも照れ臭そうで。私も急に恥ずかしくなって俯いた。
 男子と二人で文化祭を回るって、なんかなんか……すっごく意識してしまうんだけど。伊波はどういうつもりで誘っているんだろう。

「俺と二人じゃ嫌…?」
「えっ!?嫌なわけじゃないよ。ちょっとびっくりしただけで!」
「じゃあ、いい?」
「あ……う、う」

 伊波の顔が近くて、俯いたままの私の視線は落ち着きなく泳ぐ。今まで伊波を異性として意識したことがなかったせいか、余計に緊張してしまって上手く言葉が出て来ない。伊波ってもしかして私のこと……なんて、文化祭に誘われたぐらいで勘繰り過ぎだろうか。

「う、う……っ!」

 "うん"と一言言うだけのことで苦戦している私の背後でガタンッと大きな音がする。内側からロッカーの扉を叩いたような音だった。

「今の音なに…?」
「そこのロッカーから聞こえたよな。中に幽霊がいたりしてな?」
「中に入ってる物が倒れただけでしょ!」

 声が震えていることに気付かれてしまったらしく、伊波は私をからかうように笑う。

「じゃあ香坂、開けて確認してみろよ」
「い、いいけど?」

 ムキになって承諾するとロッカーの扉に手を掛ける。開ける前に振り返ってみたら、なんと伊波は教室の端まで避難していた。私に手を振りながら「爆弾かもしれないし」なんて言って笑っている。

「薄情者めー…」

 幽霊とか爆弾とか馬鹿らしい。有り得ないと頭ではわかっているものの、私は少し緊張しながらロッカーの扉を開けた。


****


 二人きりで文化祭を回ろうなんて香坂さんを誘える立場にある伊波が羨ましくて、妬ましい。伊波を憎々しく思う気持ちと、情けない自分への苛立ちが募る。
 僕はつい感情的になって目の前のロッカーの扉に拳を打ち付けた。僕はここにいると存在を主張するように大きな音が教室内に響く。伊波にたきつけられた香坂さんの足音が近付いてくる。狭いロッカーの中でしゃがんで僕は必死に息を殺した。

 ロッカー内にゆっくりと光が入ってくる。こんな場所に隠れて会話を盗み聞きしていたことが香坂さんにバレるのか。きつく目をつぶると、うっすら滲んでいた涙が目の端から零れ落ちた。
 僕は、今更何に怯えてるんだろう。香坂さんには心底嫌われている。下がる好感度なんか元々ないっていうのに……そうだ、それより久々に香坂さんの表情が曇る瞬間を見られる良い機会じゃないか。
 香坂さんは僕を軽蔑し、もっと嫌悪してくれればいいんだ。無関心より残酷なことを僕は知らない。

 錆びついたロッカーが耳障りな金属音を立てて開いた。ロッカー内が光で満たされて前に立つ香坂さんの影が僕に掛かる。眩しさに目を細めながら、縋るような思いで香坂さんを見上げた。
 確かに香坂さんと目が合ったと思った。でも……

「ほらね。やっぱり幽霊なんていないじゃん!」
「まっ、だろうな」

 香坂さんが伊波の方を振り返り、安心したように明るい声で言った。さっき、光を背にした香坂さんの表情は見えにくかったが、香坂さんが僕の姿に驚き、目を僅かに開いてから視線を逸らしたような気がした。でもそれなら何故、ロッカーに隠れている僕のことを伊波に報告しない?
 僕の姿が見えてない…から…?

「つーか、そのロッカーって何が入ってんの?」
「んー…」

 香坂さんはロッカー内に上から下まで視線を向けると、僕の足元に転がっていた袋を拾った。食い入るように見つめている僕の視線には反応を示さずに袋の中を覗いて眉を顰めた。

「体育館シューズだ。しかもボロボロ」
「他には?エロ本とか隠されてねーの?見せて見せて」
「あるわけないでしょ……埃っぽいからやめときなって」

 伊波がこっちに近付いてくると香坂さんはロッカーの扉を閉めた。ロッカーの中は再び真っ暗になる。外では一言二言何か言葉を交わした二人が教室を出て行ったようだ。

 今まで香坂さんが僕の姿を見ることが出来ていたのはきっと、香坂さんだけは僕に無関心ではなかったから。つまり香坂さんが僕を見られなくなったということは、香坂さんにとって僕はもう、いてもいなくてもどちらでもいい空気のような存在になったということ。

「あは…は……はは……消えちゃった……」

 ついに僕の存在は、香坂さんの中から消えてなくなったんだ。

「ははっ、消えたよ。消えた……あはははっ」

 何故だか無性に可笑しくて笑いが込み上げてくる。僕は腹を抱えて笑いながらロッカーの扉を叩こうとした。その手はすぐそこにあるはずの扉に当たらず空振って、体が前へとバランスを崩した。

「っ!」

 教室の床に投げ出された僕は、自分の体を見て目を疑った。体が透けていてうっすらと床が見えている。
 恐る恐る下半身に視線を向けると更にゾッとする光景が目に入った。ロッカーは今も閉まったままで、僕の下半身はロッカーの中。要するにこの状況は、僕の上半身と下半身がロッカーの扉で真っ二つに切断されて…?
 慌てて床に這いつくばって前に進むと、上半身と同じように透けた下半身が難なくロッカーをすり抜ける。それを見て、悟った。今度こそ僕は本当の意味で空気に近い存在へと変わりつつあるんだな。

 香坂さん以外のみんなは、僕のことを好きなわけでも嫌いなわけでもなかった。香坂さんだけが、こんな空気のような僕を忌み嫌ってくれた。例えマイナス感情であったとしても、存在を忘れ去られるよりはずっと救いがあると思ってきた僕の考えは正しかった。
 高校に入学してからの香坂さんは、前のような敵意を僕に向けてくれなくなった。みんなと同じように僕に無関心になった。だから、影が消える時間が長くなったのだ。
 きっとこれから更に僕の存在感は薄れていく。そして遠くない未来、半透明の体が透明になって、僕は消滅してしまうのだろう。

 それならどうか、消えてしまう前に……。
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