創作夢
□好きと言わないルール
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私が教室に入ったのと同時にドアは再び閉まり、鍵までかけられる。幸いにも床に背中を打ち付けることはなかった。ドアを開けた張本人の彼が、体勢を崩して倒れていく私の背中を支えてくれたようだ。
「香坂さん、こんにちは」
「あ……こ…んにちは」
戸惑いながら、耳元で囁かれる言葉に返事をした。意外な場所で如月くんと会えた。
「お昼遅くなっちゃってごめんね。香坂さんが何度もこの教室の前を通るのは見えていたけど他にも人がいたから……」
「そうだったんだ。ここなら落ち着いて食べられるね」
そう言い、教室内を見渡す。綺麗な室内には長机と椅子が数脚あった。
この資料室には初めて入った。確か常時鍵がかかっていて、掃除以外での生徒の立ち入りは禁止されていたはずだ。どうして如月くんは入れたのだろう?
如月くんは私が頭の中で抱いた疑問に答えるように「学年主任の先生が貸してくれた」と言って、他の教室の鍵もぶら下がっている鍵束を顔の横で揺らした。さすが学年首席の優等生だ。教師からの信頼も厚い。
二人並んで座って、いざ食べ始めようという時……如月くんが興味深そうに私のお弁当を覗き込んだ。
「香坂さんのお弁当って茶色系のおかずしか入ってないんだね」
「あっ……きょ、今日はたまたまだよ!時間がなかったから冷凍食品しか入れてないの。普段は野菜とかもあるんだけどね」
きっと何気なく放ったと思われる一言に酷く焦った。朝は時間がないし、手間をかけてはいられない。どちらかと言えば普段が手軽で美味しいこんな感じのお弁当で、見栄えを気にして野菜を入れる方が稀だ。でもそれは女子力の低さを露呈するようで恥ずかしく感じた。
「へー!自分でお弁当を作ってるなんて偉いね」
如月くんは嫌味のない笑顔を向ける。まぁ、冷凍食品に頼りまくりですけどね……。
「あはは……た、食べよっか」
「そうだね。いただきます」
お隣りに座る如月くんのお弁当が目に入って私は苦笑いした。二段重ねの重箱の中にはどこの高級料亭のお料理ですか、というおかずが詰まっている。如月くんが自分でお弁当を作る必要はなさそうだ。
――それから、会話が途切れて気まずくなることもなく、和やかにご飯を食べ終えた。大勢から見られているような状況じゃないなら私だって自然に喋ることが出来る。隣の席でよく話していた頃に戻ったみたいだった。
「本といえば、如月くんは去年話してた本の最新刊をもう読んだ?前は如月くんに貸してもらって読んでたけど今は自分で全巻揃えて」
「ねぇ、僕達付き合ってるんだよね?」
「……う、うん」
流れを無視した問い掛けに私は目を丸くした。そういえばそうだったね……なんだか去年に戻ったようではしゃいでいたけど、付き合っているから二人きりでご飯を食べているんだった。
言われて思い出したみたいな私の態度ににこやかだった如月くんの表情が少し曇った。
「まだ香坂さんは僕と付き合ってる実感がないようだから、恋人同士のルールを決めない?」
「いいけど……」
「じゃあ」
如月くんが顔を近付け、少し首を傾けて上目遣いで私を見つめる。こんなに近い距離は心臓に悪い。私は咄嗟に椅子を引いて、如月くんが近付いた分だけ離れた。
「……とても簡単なルールを僕から提案するね。一つ目、スカートの下には必ずハーフパンツを履き、露出の多い服装はしないこと。二つ目、僕以外の男とは必要以上に仲良くしないこと。それから三つ目は」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「どうかした?」
淡々とした口調で挙げられていくルールに異議を唱えたかった。如月くんは何故話を止めるのかわからないという顔で私を見た。
「そのルールおかしくない?恋人同士のルールなのに私だけに課せられてるよね」
「あぁ、もちろん僕も守るよ。女子とは必要以上に口を利かないし、目も合わせない。服装は……えーと……腰パンしない。シャツのボタンを開けない、かな?」
かな?なんて聞かれたって同意出来なかった。元から如月くんは制服をきっちり着ている優等生じゃないか。私の場合スカートの下にハーフパンツを履くなんて恥ずかしい。中学生じゃあるまいし、友達の誰もそんなことしてないっていうのに。
「最後……」
私の無言を肯定と取ったのか、如月くんはルールを続ける。
「三つ目は、名前で呼び合って一日一回好きと言うこと。一番大切なルールだよ。守れる?天音」
私を見つめる優しい瞳と、如月くんの整った唇で紡がれた名前が脳に甘く響く。三つ目のルールは嬉しい。単純にそう思った。
「は、颯くん」
「天音、なあに?」
「あ、あのね……」
私は小さく頷いて、初めて如月くんの名前を呼んだ。すると如月くんは照れ臭そうに笑ってくれた。
昨日の告白で、私からはまだ如月くん……颯くんに直接好きと言っていない。好きと言うのが私と颯くんの間のルールなら、その力を借りて伝えられそうだ。
「あ、あ、あの…!」
キーンコーンカーンコーン
身を乗り出して、いざ言おう!というタイミングでチャイムが鳴った。それは今の勢いを断ち切るものだったから急に恥ずかしさが込み上げてくる。私は慌ててお弁当を持って立ち上がった。
「またね如月くん!」
苗字呼びに戻ってしまったことにも気付かず、逃げるように資料室を出た。
"好き"だと伝えるのは何より緊張する。だって、本当に言ってもいいのだろうか。好きと言わなければ、片思いのままいつまででも好きでいられる……そう思ってきた。
だから去年、自分の中で一つのルールを作った。ずっと好きでいたいから如月くんに好きと言わないルールを。
放課後、友達と保科達と一緒にカラオケに行く約束になっている。が、その前に一先ずトイレへと向かっていた。授業の間中我慢していたからもう限界だ。
トイレは目前……というところで腕を掴まれて、近くの空き教室に引きずり込まれた。驚きの早業でドアは閉まり、鍵まで掛けられる。
ドアを背にして如月くんを見上げた。前に立つ如月くんは腕を掴んだまま、私の耳元に顔を寄せる。
「天音、好き……」
「き、如月くん…っ」
「颯でしょ?」
「あっ、ごめんね。颯くん」
その言葉でトイレに行きたかったことなんてどうでもよくなってしまった。私に苗字で呼ばれて颯くんは一瞬嫌そうな顔をしたが、言い直すとすぐに顔を綻ばせた。
「…………」
颯くんから、昨日と合わせて二度目の好きという言葉……私からの言葉を期待するような颯くんの沈黙に、今度こそ応えたい……けれど。言わなければと思えば思うほどに、言葉が詰まって出て来なくなるのは何故だろう。
「今から帰るんだよね。一緒に帰ろう?送って行くよ」
少しの沈黙の後、颯くんはいつもの笑顔を浮かべて私を誘う。でも見てしまった。颯くんが一瞬だけ困った顔をしたのを。「あぁ、また駄目か」って、落胆の色を隠そうとしたことに気付いた。
「ご、ごめん。友達と約束があるんだ。また今度ね!」
「天音…!」
なんだかいたたまれない気持ちになって廊下に飛び出す。私を追って廊下に出たらしい颯くんの声が後ろから聞こえたけれど、その声を無視して人の多い廊下を早足で歩いていった。
私、何しているんだろう。如月くんが好き。頭の中で何度言ったわからない言葉も本人を前にすると出てこなくなる。せっかく如月くんの恋人になれたのに全然上手に付き合えていない。
如月くんと話をすること自体が半年振りだし、前触れもなく恋人になった。友達としてなら久々でも自然に話せる。恋人として振る舞おうとすると途端に難しくなってしまう。彼氏が出来たのも生まれて初めてのことだ。何もかもが急で気持ちが追い付いてない。
せめてメールで話せたらと思う。ゆっくり文章を考えられるし、顔も見えない。でも私達はお互いにアドレスを知らない。去年私が如月くんをきっぱり諦めると決めた日、アドレス変更のメールを送らなかった。
学校で話さなくなり、何ヶ月もメールもしていなかったから、四月のクラス替えの前に踏ん切りをつけた。如月くんのアドレスも保護メールも全て削除したのだ。
如月くんだって私にメールが送れなくて不都合があるなら話し掛けにきたはずだ。でも昨日まで私達は一度も話すことはなかった。
結局私達がメールをするような用事も話す理由もなかったわけで。もしも如月くんがアドレスを変更していなかったら、私のアドレスが変わったことに気付いてすらいないのかもしれない。
「……ど、して私なんだろ……」
如月くんの周りには可愛い女の子がいっぱいいるのに。段々と小走りになっていく私を女子達が内緒話をしながら好奇の目で見ていた。
今日こそ如月くんと上手くやると誓いながら私は玄関で靴を履いた。今日一番の目標はアドレスを聞くことだ。
如月くんと会うのは少し怖かった。私を好きだと言ってくれる如月くんをがっかりさせてばかりいる。このままでは如月くんに嫌われてしまうかもしれない。最初から付き合ったりしなければ、嫌われる心配をする必要はなかったのに……頭に過ぎった後ろ向きな考えを振り払い、玄関の扉を開けた。
家の前の道路には、いかにも高級そうな車が停まっていた。嫌な予感しかしない。私が車を避けるように横を通ると、案の定……後部座席の窓が開いた。
「天音、おはよう」
「きっ……颯くん!」
"如月くん"と言いかけて、言い直した。颯くんは私の声を聞き逃さずピクッと反応してから、微笑んだ。
また失敗してしまった。どうにも呼び慣れない。ルール違反をあと何回したら、颯くんの彼女という資格を剥奪されちゃうんだろ。言われるままに颯くんの隣の座席に座った。
初めて座った高級車のシートはソファーのような座り心地で感動してしまう。運転席にはスーツ姿の男の人が座り、無言で運転している。颯くんからこれといった紹介は受けていない。颯くんのお父さん、あるいはお兄さんでないことだけは確かなようだ。
「これから毎朝迎えに行くね」
「いやあ、私家出るの遅いから……」
「気にしないで。いつもの天音の登校時間なら遅刻することはないよ」
「そ、それもそうだね」
爽やかな颯くんの笑顔に曖昧な笑みを返しながら私は内心がっくりしていた。毎朝高級車で颯くんと一緒に登校って、皆さん注目してくださいと言わんばかりの大胆な行動だ。あんまり目立たない地味なお付き合いは出来ないものだろうか。
「僕ね、前から天音をすごく心配してたんだ。通勤ラッシュ時の電車に乗って登校なんて危ないよ。痴漢に窃盗、通り魔、テロ、手榴弾が落ちてることもあるらしいね……やっぱり絶対駄目だ。彼女の命を守るのは彼氏の務めだよね」
「ありがと……」
颯くんは話しながら恐ろしい想像でもしたのか肩をブルッと震わせる。でも最後には少し誇らしげに胸を張った。
颯くんが前から私のことを心配してくれていた。それが嬉しくて私は小さな声でお礼を言った。颯くんの語る電車はどこの異世界の話かとは思うけど。
「も、もうすぐ学校につくね」
私達を乗せた車は、私が毎朝駅から学校まで歩いているお馴染みの道を走り始めた。スモークの貼られた後部席の窓から外を覗くと、同じ制服を着た生徒達が歩いている。私は緊張で変にソワソワしていた。
「あぁ、安心して。学校近くの人通りの少ない道で降りるから。いつもそうしてるんだ。車で登校してるところを見られると騒がれて面倒だからね」
「そうなんだ。よかった……」
そういえば、颯くんが毎朝車で送ってもらってるって話は聞いたことがないな。颯くんの金持ちの坊ちゃん特有の仰天エピソードは度々耳にする。その度に胡散臭いと思っていたけど……うーん。噂は真実だったらしい。
それに、颯くんの口から面倒という言葉が出たのは意外だった。颯くんは自分がモテていることを毛ほども気にしていないように見えたから。
「そうだ。降りる前に渡しておくね」
「ん、スマホ?……えっ、私に!?」
颯くんがバッグから取り出して私に手渡したのはピンクのスマートホンだった。そのスマホがどうしたの?と不思議に思って、数秒遅れで颯くんが持ちそうにない色だと気付いた。
「うん。これなら電話代を気にしなくていいでしょ。いつでも連絡してね」
「借りていいの?」
「え?あげたつもりだったんだけどな」
「本当!?ありがとう颯くん」
私は興奮しながらお礼を言った。ありがとう颯くん大好き!と、つい勢いで続けそうになった言葉は飲み込んだ。
早速借りたスマホを見る。電話帳には颯くんの電話番号とアドレスが登録されていた。ハッキリと覚えのあるアドレスだ。颯くんが去年からアドレスを変更してないとなると、私のアドレスが変わってることにはきっと気付いてないんだろう。
これから颯くんとは借りたスマホの携帯番号かアドレスで連絡を取り合うことになる。変更メールを送らなかったことを謝ってアドレスを再度聞く必要はなくなったんだ。狡い考えだけれど、心配事が一つ減ったことに安心してしまった。