創作夢

□好きと言わないルール
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 些細なことがきっかけだったと思う。たまたま隣の席になって、同じ作家が好きで、本の貸し借りをした。教科書を忘れたときには机をくっつけて見せてもらった。顔を近付けて、あの先生咳ばらい多いよねと内緒話をした。アドレスを交換して、何でもないメールを送りあった。
 気付いたら、隣の席の優しいクラスメートに恋していたんだ。


――私の好きな人、如月颯(きさらぎ はやて)は文武両道、眉目秀麗。おまけに親がすっごいお金持ちで大豪邸に住んでいるんだとか。
 男子からは変に意識されることなく"如月"か"颯"と呼ばれ、いつも自然と話題の中心にいるような人気者だ。女子からは密かに"如月様"と呼ばれ、隠し撮りの写真が裏で取引されるなど、もはや崇拝の対象となっていた。

「えぇぇっ!天音って如月様のことが好きなの!?」
「しーっ!声大きいよ」
「ご、ごめん。まぁ、これからの人生あれほどの優良物件とは巡り会えないだろうね。顔良し、頭良し、運動神経良し、家柄良しの完璧超人だもんなぁ」

 私は放課後、友達と教室に残っていた。廊下側一番後ろの友達の席の前に座って、如月くんへの思いを打ち明けた。友達が好きな人のことを話してくれたから私もその流れで。
 驚いて大きな声を出した友達を慌てて静める。いくら人の少ない放課後だからって廊下の端まで響きそうな声を出されては困る。

「でもね……私が去年好きになった頃の如月くんは、目立つ存在の男子じゃなかったよ」
「それって一年の四月とか五月の話でしょ?一学期の終わり頃には学校中の女子が如月様如月様って騒ぎ始めてたからねぇ」

 本当は如月くんのことを文武両道、眉目秀麗……そんな言葉で表現してはいけないと思う。彼はもっとこう、普通に優しいのだ。普通に、自然に、当たり前に親切で、思いやりがあって素敵な人だ。
 一年の一学期の前半頃の私達はそれなりに仲が良かったと思う。ただ単に隣の席だったから話すことが多かった、というのが理由だけど。

 私が何をするでもなくぼーっとしている間に、彼が素敵な男の子だという事実は広まってしまった。それからは如月くんのファンクラブが出来たとか、学校一の美人と呼び声が高い先輩が告白したとか……席替えと共に彼は遠い存在になっていった。

「んー…でもそっか。あの如月様かぁ……難易度高いよね……」

 普段は元気でお調子者の友達が悲しげな表情で俯いた。私も叶わない恋だってわかっている。二年になってクラスが離れてからは一度も話していない。話す機会も、理由もなかった。
 別にいいんだ。如月くんのことは、あの日……諦めることにしたから。

「あはは、大丈夫。もうとっくに諦めてるよ。私ね、別に付き合えなくてもいいとおも…っ?」

 言いかけたとき、私達のすぐ近くのドアが音を立てて開いていく。最後は乱暴にバンッと叩きつけるような開け方で、教室への入口が全開にされる。
 秘密の話の真っ最中だ。私達の間に緊張が走る。ドアの方へ恐る恐る視線を向けた。

「……っ」
「き、如月くん……」

 友達が息を飲む。私の声は震えていた。タイミングが悪いにも程がある。
 ドアの前に立っていたのは今まさに話題にしていた如月くんだった。心なしか厳しい目つきでこちらを一瞥すると、静かに通路を歩いて、私が座る席の横で止まった。

「今の話、本当?」
「え…?」
「香坂さんが僕を好きって話」

 如月くんは私の座る椅子の背と机に手を付いて顔を寄せてくる。目鼻立ちの整った綺麗な顔を久々に近くで見ることが出来た。でも、いつも感じの良い笑顔を携えている如月くんが怖い顔をしていたから悲しくなった。
 如月くんは怒ってるんだろうか。私が好きでいると迷惑だから?
 告白する気は毛頭なかったのにこんな形で本人に知られてしまうなんてあんまりだ。如月くんの問いかけに答えるのが怖くて、口を噤んだ。如月くんは私をじっと見つめ、しばらくすると床に跪いた。

「香坂天音さん……あなたのことがずっと好きでした。僕と付き合ってください」

 私より少し目線の低くなった如月くんが真剣な眼差しで告げた。予想だにしない言葉で、動悸が激しくなる。痛いくらいに感じる友達からの視線も今だけは気にならない。
 別に如月くんと付き合えなくてもいい……そんな強がりは無意味になった瞬間だった。


 授業の合間の短い休み時間。友達とクラスメートの男子二人の計四人でトランプをしていた。ここ最近学校で一緒に過ごすことの多いメンバーだ。

「ババ引け!ババ引け〜!」
「保科うっさい!んー…これ。おっ、やった!私あがりね」
「うげ……また俺の負けかよ」

 ババ抜きで最後まで残った友達と保科(ほしな)の勝負は友達の勝利で終わった。
 この二人は結構前から良い雰囲気だ。本人の口から直接聞いたのは昨日が初めてだけど、友達の好きな人が保科だってことは何となく気付いていた。
 恐らく保科も友達のことが好きだ。保科は何かっていうとすぐ友達に絡みにいくからわかりやすい。みんなでトランプをしようと誘いにきたのも保科だった。
 二人が上手くいったらいいな……と、二人を見守ることによって、実は私はある種の現実逃避をしていた。

「……な、なぁ……」
「き、気にしない気にしない……」
「あぁ、無心でトランプをするんだ」

 私以外の三人が俯き、小声で話し始める。三人は私に気を遣って出来るだけ普段と変わらない態度でいようと努力してくれている。けれど、やはり周囲を全く気にしないのは難しい。

「で、でもよ香坂……あれ、何とかならないのか…?」

 保科が私に顔を近付けて廊下の方を顎でクイッと指した。それに釣られて見ないように注意していた方へ視線を向ける。

「あっ!こっち見たよ」
「どれどれ?」
「あの子が噂の香坂天音?」
「噂って本当なの?」
「やっぱり有り得ないでしょ!だってあの子、超普通って感じ」

 一旦意識してしまうと、ひそひそ話と呼ぶには大きすぎる話し声が耳に入ってくる。
 保科が言う"あれ"とは、私達の教室の廊下側の窓やドアにへばり付いている、女子の集団のことだ。その数、実に三十人くらいだろうか。違う学年の女子まで集まって入れ替わり立ち替わり教室を覗いては、各々好き勝手に感想を並べ立てていた。

「ハァ……ごめん。噂ってこんなに早く広まるものなんだね」
「まっ!人の噂も七十五日って言うからほっとけば落ち着くよ。気にしない気にしない」

 友達が私の背中をバシバシ叩いて元気付けようとしてくれている。
 昨日の告白後に教室を出る際、数人の女子が走り去っていくのが見えた。彼女達は如月くんを追い掛けていてあの場に居合わせたんだろうし、明日噂になるだろうなとは思ってたけど……
 まだ一時間目が終わったばかりだっていうのに学校中の女子が知ってる勢いじゃないか。今まで如月くんを崇め奉ってきた彼女達の如月様情報網を少し舐めていたようだ。

 噂は本当なのかって私が一番知りたいよ。昨日、私は如月くんと付き合うことになった……はずだけれど。告白を了承してすぐに如月くんは「用事を済ませてくるから待っていて」と言って立ち去った。気が動転していた私はあろうことか友達と一緒に逃げるように帰ってしまったのだ。
 そんなんだからいまいち実感がなく、告白は夢だったんじゃないかとすら思っていた。しかし今日私が登校するやいなや女子は大騒ぎしていて、今はこんな調子だ。昨日の出来事は現実だったのかもしれない。

 女子達に注目されながら三度目のババ抜きが始まる。ババは私の手札の中にあった。
 さっきより廊下がざわついて慌ただしくなる。なんだか気になってそっちを見た。廊下に集合して堂々と通行の妨げをしていた女子達が波のように引いて道をあけていく。教室を覗いていた女子もその場を離れて、邪魔にならないよう廊下の端で一列に並んだ。

 ざわざわ聞こえていた声が段々小さくなって、廊下はシンと静まり返る。あまりにも急に雰囲気が変わったから、教室内にいる他のクラスメート達も廊下を見つめる。
 この場にいる全員の視線が集まるなか、そんな状況を全く気にしていない様子の人物が、開けっ放しのドアの前に立った。

「香坂さん、居る?」

 ドア近くの男子に平然と声をかけたのは、他でもない如月くんだった。名前が出た瞬間、全員の視線が一斉に私の方に向く。如月くんはその視線を追って私を見付けると笑顔で手を振ってきて、"こっちに来て"と小さく口を動かした。
 昨日の告白は夢じゃなかったみたい。私は友達の「頑張れ」という言葉を背に、たどたどしい足取りで如月くんの元へ向かった。

 廊下の女子も教室のクラスメート達も固唾を飲んで私の一挙一動に注目している。こんな大勢の前で恥ずかしい失敗は出来ない。上手に立ち回らねば……というプレッシャーに襲われる。如月くんの前に立った私は小さく息を吸い、口を開いた。

「きっ、き、き、昨日は先に帰っちゃって……ご、ごめん」
「気にしないで。僕こそ香坂さんの都合も聞かずにごめんね」

 私の喋り方は酷くぎこちなくて視線は泳いでいる。廊下の女子達がくすくす笑う声が聞こえる。
 如月くんは大勢から見られている状況を意に介さず涼しい顔をしていた。何しろ日頃から、如月くんがただ普通に歩いているだけで多くの女子が足を止め、少し目が合えば如月様の視線を頂戴したと騒がれているのだ。この程度の注目を集めるのは日常茶飯事で、きっともう慣れっこなんだろう。

「よかったら今日のお昼一緒に食べない?」
「え……」

 如月くんがお昼を誘ってくれた。私にとってもちょっとした事件だけど、廊下で聞き耳を立てている彼女達はもっと衝撃を受けたに違いない。噂は本当だったんだと口々に呟き、泣きながら走り去る女子までいて廊下は騒然となった。

「もう先約があるかな?」

 女子が泣きながら真後ろを駆けていったというのに如月くんはそれすら気に留めない。目の前の私以外は完全に意識の外といった感じで、私が返事をしないのは無理だからなのかと残念そうに肩をすくめた。

「あ……えっと……」

 廊下に気を取られていた私は慌てて友達を振り返って確認した。約束しているわけではないけどお昼は毎日友達と食べている。目が合った友達は親指を立てて応じてくれた。

「大丈夫だよ」
「よかった。昼休みが楽しみだよ。あ……もうすぐ授業が始まるね。香坂さん、また後で」

 まだチャイムが鳴る前だが、次の授業の担当教師が教室に入ってきた。如月くんは時計を確認すると、ボケッとしている私に小さく手を振って颯爽と歩いていった。その後ろを数人の女子がついていく。残りの女子は「隣の校舎に移動しないと」とか「やばい。次体育だ」と小走りで立ち去った。

 如月くんと付き合うってこういうことなんだ。人の噂も七十五日とは言うけど……あの如月くんに彼女が出来たという噂が七十五日程度で簡単に納まるとは思えない。なんだか早くも心が折れそうだ。
 廊下の女子達が解散するとクラスメート達の視線からも解放される。私は友達の待つ席へとフラフラしながら歩いた。

「どうだった?」
「すっごい緊張した」
「まあまあ気を取り直してババ抜きを再開しようぜ!俺、負けっぱなしは御免だからな」
「もう時間ないんじゃねぇか?」

 言ってるそばからチャイムが鳴った。チャイムを合図にみんな自分の席に戻っていく。私も割と席が近い男子と話しながら戻った。

「なあ、三回目のババ抜きで手札にババあったのって誰?」
「私だけど…?」
「じゃあ香坂と二回ババだった保科は罰ゲームな!俺考えとくから」
「えー…」

 確かに負けた人は一抜けした人の決めた罰ゲームをするってことになってたけどさ……私は最初に配られた手札にババが入っていただけで、始まる前に終わってしまったから勝敗はわからないよ。ちゃんと勝負していれば妙に弱い保科には勝てたと思うのに。でも、私が理由で中断してたんだから仕方ないか。


キーンコーンカーンコーン

 四時間目の授業の終わりと昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴った。
 今日のお昼は如月くんと食べる約束をしている。しかし待ち合わせ場所を聞くのを忘れていた。呑気に教室で如月くんを待っていたら女子達が廊下に大集結してしまいそうだ。お弁当を持って一人で教室を出た。

 廊下を歩いていると見知らぬ女子が私を見てヒソヒソ話し出し、知り合いは「如月様と付き合い始めたんだってね」とストレートに声を掛けてくる。急に学校内の有名人になってしまったみたいで落ち着かない。

「あー…どうすれば……」

 私は如月くんのクラス近くの廊下を行ったり来たりしていた。相手が如月くんじゃなかったら普通に「誰々、いる?」と聞きに行けるのにな。
 人がまばらになった廊下で近くの資料室のドアにもたれ掛かろうとした。すると、後ろでドアが開く。

「えっ!?」

 背もたれにしようと思っていたドアが突然なくなって背中から教室になだれ込んだ。
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