創作夢

□だから君が嫌い
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 五年前――
 所属する組織のボスへのクリスマスプレゼントに奴隷を用意しろと言われたことが全ての始まりだ。仕入れ先は闇市場だった。
 既に何人もの奴隷を所有しているボスは名前が思い付かないと言うから、私が"ノエル"と名付けた。
 ノエルは透き通るような白い肌に金色の髪と碧い瞳を持った美しい少年だった。

 ボスが愛情を注ぐのは幼い少年限定。当時はボス好みの年齢だったノエルも今では十五歳になり、成長期を迎えている。
 女の子みたいなソプラノボイスはかすれ始め、小柄だった体はボスの身長を追い越した。年齢にしては幼く、まだ中性的なルックスを保っているけれど、いずれは青年になる。
 日々成長し、変わっていくノエルをボスはついに見限った。

「天音が連れて来た子もういらないから処分しておいて」
「処分……ですか?」
「お金に困ってるんでしょ? バラして売って天音のお金にしていいよ。ま、処分の方法は任せるから好きにして。ほら、あの子の首輪の鍵」

 ボスは多くの奴隷少年の中でノエルを特別溺愛していた。
 その入れ込みようは相当なものだったはずだ。ノエルを市場から選んできた見る目のある奴として私までもが気に入られたくらいだ。
 おかげで当時十六歳で何の後ろ盾もなかった私が、今では幹部候補の一人だ。これも全てノエルの存在がなければあり得なかっただろう。

――それなのに、なんて呆気ない終わり方。
 ボスは退屈そうに枝毛を探している。あの子、か。もう名前も呼ぼうとしない。彼女にとってノエルはその生死にすら興味がない存在になってしまったのだ。





「おいでノエル」
「……!」

 ノエルに与えられている部屋の扉を開けて名前を呼ぶ。
 私の声に反応して半裸のノエルが駆け寄ってきた。
 部屋の奥の柱と首輪とを繋いでいる鎖がジャラジャラと音を立てる。そのまま鎖の長さの限界である扉の前でノエルはペたんと座った。

「今からノエルの部屋を移すから何か持って行きたい物とかある?」
「…………」
「話すことを許可するよ」
「ありがとうございます! お久しぶりです、天音さん。最近見かけないのでお仕事お忙しいのかなって心配していたんです。僕、天音さんとお話したいことがたくさんあって……あ、ごめんなさい。持って行きたい物は特にありません」

 あくまで奴隷のノエルに発言の自由はない。だから許可を与えると嬉しそうに多くを話し始めるのはいつものことだった。
 無邪気に笑うノエルを見ていられなくて目を逸らす。


 今でもノエルを買った日のことは鮮明に思い出せる。
 闇市場に出向くのは初めてではなかったが、何度行っても慣れない場所だ。

 私の弟と年の変わらない少年達が檻に閉じ込められていて、品定めする金持ち相手にアピールをしているのだ。売れ残った奴隷は臓器売買のために殺される。少年達もそれを知っているのか必死だった。
 積極的な他の奴隷少年達に押しのけられ、檻の隅で泣いていた金髪の少年は誰よりもみすぼらしい服を着ていた。酷く哀れだと思った。
 でも、海の色を映したような碧い瞳から涙を流す様は綺麗で。私は迷うことなく彼に決めた。

 たまに考える。ノエルは容姿に恵まれた少年だ。
 私が選ばなくても他の誰かがノエルを買っただろう。その誰かはノエルに今より良い暮らしを与えたのだろうかと。
 ……今更考えたって仕方のないことだ。
 あの日ノエルを生かしたのは他でもない私で、ノエルの今後も私に一任されている。

 私にはお金が必要だ。組織に入ってからは会いに行けていない、しかし、私のたった一人の家族である病気の弟に手術を受けさせてあげたい。
 真っ当な仕事をしていては一生稼げないほどの大金が少しでも早く欲しい。
 だからもう、あの日みたいにノエルを選んであげられない。

「どこに移るんですか?」
「とりあえず私の家かな」
「そう……ですか」

 白く細い首から重い鉄の首輪を外してやる。
 ボスの心変わりに薄々気付いていたのだろう。ノエルはボスに捨てられたことをすぐに察したようだった。さっきまでの明るい笑顔が消え、静かに目を伏せた。
 この五年間、滅多にない外出時以外はボスの屋敷に鎖で繋がれていたのだ。突然私の家に移るなんて明らかに不自然だ。
 外出時には必ず付けていた拘束具をせずに外に連れ出したのは多分私の良心からだったと思う。それでもノエルは従順に車へ乗り込んでしまったけれど。





 もとより取引がある臓器売買の仲介人から連絡が来たのは一週間後のことだった。
 ノエルの心臓が適合する患者が見付かり、摘出手術の日程も決まった。全てが順調に進んでいる。後は明日ノエルを引き渡すだけだ。
 
「……ただいま」
「おかえりなさい天音さん!」

 玄関で笑顔のノエルに出迎えられる。何故出ていかないのだろう。私はノエルを自宅に一人残して仕事に行っている。
 いくらでも出ていくチャンスはあるのに一週間ずっとこの調子だ。
 私の帰宅時間に合わせて温かなご飯とお風呂が用意されているし、整えられたベッドシーツからはお日様の香りがする。

 ノエルは無学だが決して頭が悪い子供ではない。
 飽き性なボスに奴隷少年達が捨てられる場面をノエルも見てきている。その後の彼等の運命だって理解しているだろう。
 このまま私の元に居続ければ自分がどうなるのかわかっているはずなのに……ノエルは私が帰宅すれば玄関まで飛んできてコートとバッグを預かり、「今日のお仕事はどうでしたか。ゆっくり休んでくださいね」と気遣いながら笑うのだ。

「お願い、ですか……?」
「何でもいいよ。この間言ってた一緒にタルトを作りたい、でもいいし、綺麗な挿絵の本がほしい、でもいいし……」

 お願いを一つだけ聞いてあげる。そう伝えた。
 私は喉から手が出るほどお金がほしい。お金さえあれば幼い頃から全てを諦めてきた弟の人生を変えることができる。
 これまで弟のためならどんな汚いことでもやってきた。今回も同じことだ。
 それでも全く罪悪感がないと言ったら嘘になる。明日ノエルを連れて行く前に何かお願いを聞いてあげたなら、少しは罪の意識から逃れられるかもしれない。そう思ってのことだった。

「……自由になりたい、でもいいよ」

 しかし、私の口をついて出たのは愚かな提案だった。

「……そう、ですね……天音さん」
「なに?」

 しばらく考え込んでいたノエルが顔を上げた。柔らかな笑みを浮かべている。

「これから先の人生、僕のことを一年に一度思い出してくれませんか。クリスマスの日がいいな。温かな部屋で愛する家族とチキンを食べる、幸せなその時間に。ほんのひと時でいい。ほんのひと時、僕のことを思い出してほしい……それが僕の唯一の願いです」
「な、んで……っ」

 何で、何で、何で! 何で笑っていられるの?
 ノエルの願い、そのささやかな思いに頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。
 逃げ道を与えた。それはきっとノエルにじゃなくて、私に。
 家に帰ったらいなくなっていてくれとどれだけ願っても、玄関の扉を開ける度にノエルは今みたいに微笑んでいた。自分はもうすぐ殺されると気付いているのに私を責めることもなく。

「いい? あんたは明日私に売られてバラバラに解体される。私はお金がほしいの。金のためにあんたは命を奪われる! なのに何で笑ってられんの……っ、私のこと憎いでしょ?」

 力の入らない体でノエルに縋りつき、その細い肩やお腹を思うままに叩いた。

「明日……僕の命はお金に変わって天音さんを助けることが出来るんですね。ありがとう……生まれてきてよかった。初めてそう思えました」

 ノエルは私の苛立ちを全て受け止めて心の底から幸せそうに笑ってみせる。
 汚い仕事を続けるうちに私が忘れてしまった笑顔をノエルが失うことはなかった。どれだけ尊厳を傷付けられ、ボロボロになっても私の姿を見付けたらいつも顔を綻ばせる。
 そんなノエルの笑顔がずっと嫌いだった。自分がとても醜く思えて、苦しくなったからだ。

「……僕のために泣いてくれるんですか? 死ってすごい。奇跡みたいだ」
「……っ」

 いつの間にか私の瞳からは涙がとめどなく溢れていた。

「っ……す、る……約束するよ。ノエルの願いは必ず叶える」
「ありがとうございます。天音さんを好きになれて幸せでした」

――あの日選ばれた。名前をもらった。
 たったそれだけのことで私を無条件に慕っていた愚かで純粋なノエル。お願いなどされなくても忘れることなんて出来ないだろう。


 翌日の朝。ノエルは普段通りに私より早く起きて朝ごはんを用意していた。
 「僕がいなくなったら有り合わせを食べる生活に戻るんでしょうけど野菜も取ってくださいね」とか「疲れていても化粧を落としてから寝るんですよ」とかお節介を焼かれながら最後の食卓を共にした。私はほとんど何も喉を通らなかったが。

 約束の場所で報酬の確認をする。今まで仕事で稼いできた総額を超える大金が確かに目の前にあった。
 このお金があれば弟の手術代を出せる。私も今の仕事から足を洗って弟と共に静かな田舎町で暮らすのだ。

「唯一のお願いだと言ったけれど、もう一つだけ。最後に一つだけお願いです。僕を愛してると聞かせてください」

 仲介人の車に乗せられる直前、ノエルは立ち止まった。

「……わ、たしには愛する人がいる。何に代えても守りたい人が。でも、それはあなたじゃない」
「あは、は……残酷……だなぁ……」
「お願いは一つだけだから」
「……愛する人とどうか幸せに」

 私の言葉に困ったように笑う。それはノエルが初めて見せた弱さだった気がする。
 私はノエルを乗せた車が遠ざかっていくのをただ呆然と見ていた。





「ただいま」

 暗い玄関で一人呟く。
 おかえりなさいと明るい声が返ってくることに慣れてしまっていた。静まり返っている室内が少し落ち着かない。
 暖房をつけ、コートを脱いでハンガーにかける。
 今日は持ち帰った仕事を終わらせなければ。手早く夕飯を済ませようと考えながら一番奥の部屋の扉を開けた。

「おかえりなさい天音さん」

 ベッドにもたれかかって座っていたノエルがゆっくりと顔を上げた。
 光を放っているように見える細い金色の髪が揺れる。シーツにくるまれた白い肌には無数の鬱血痕と痛々しいアザが広がっていた。

「傷……増えたんじゃない?」
「なんか殴ると興奮する客で……あ、ごめんなさい。まだ夜ご飯の準備できてません」
「だと思って買ってきた。食べれそう?」
「はい。ありがとうございます」

 疲れ切っているのかノエルが力なく笑う。
 あの日――ノエルを売る話を取り消したいと連絡し、また一緒に住み始めてからノエルは部屋で客を取り始めた。

「変な人を相手にするのはもうやめなよ」
「でもその分お金いっぱいくれましたよ。少しでも多く稼がなきゃ……僕にはこれしか出来ないから……」
「……救いようのない馬鹿だね」
「僕は救われなくていいんです。それで天音さんが救われるのなら」

 ノエルが私の頬に手を添えてふわりと柔らかな笑顔を作った。
 ノエルの体は薄汚れた大人達によって隅々まで踏み荒らされているのに、その精神は蝕まれることなく綺麗なままだ。
 ノエルと名付けた五年前から変わらず、怖いほど純粋に私のことを思っている。

 私の選択が正しかったのかはわからない。
 一度引き渡したノエルを取り戻すためには報酬の返金とは別に、多額のお金が必要だった。私が死にものぐるいで貯めてきたものほぼ全てが消えた。
 結果、弟の手術費用を工面できる見込みは完全になくなり、助けたノエルはお金を稼ごうと緩やかにその身を壊している。

「天音さん、好きです。どうかあなたに触れさせてください」
「…………」

 細い体に抱き寄せられて剥き出しの体温が伝わってくる。
 時々ノエルは私の体を求める。体を重ねる、という行為がいかに空虚で無意味であるかノエルは誰よりも知っているはずだ。
 だけど、きっとノエルはその瞬間しか人から愛情を感じられないのだ。それしか知らずに生きてきたから、刹那の温もりを必死で手繰り寄せようとするのだろう。
 これが正しかったのか、その疑問には永遠に答えが出ない。震えている細い背中に私はそっと腕を回した。

END

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