創作夢

□後ろの正面だあれ
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 人を、殺してしまった。望んでしたことじゃない。あの時、あいつの手を振り払わなければ死んでいたのは私の方だった。
 あいつが私を殺そうとした。私は逃げようとしただけ。殺す気なんてなかった。
 私は何も悪くない。悪いのはあいつ。私に罪はない。自分に必死で言い聞かせた。そうしていなければ頭がおかしくなりそうで。

 でも、無理だった。人を殺して正気でいられるはずがない。

「うぁぁぁ…っ」

 膝に顔を埋め、髪を掻きむしる。あの日から悪夢にうなされてろくに眠れず食欲もない。私はきっと酷い顔をしてる。こんな状態では誰にも、家族にさえ会いたくなくて部屋にずっと閉じこもっていた。
 一人きりの部屋。私を責める人はいない。

"だーれだ?"

 だけど、頭の中で声が聞こえる。あの日のあいつの言葉が繰り返し何度も何度も。後悔するとわかっていて、それでも私は何度だってその言葉に顔を上げる。

「……こ…だま…っ」

 私以外誰もいない部屋。なのに、何であんたはここにいるの。

「お…ねがい、児玉……許して、許してよ……殺す気なんてなかったの、本当だよ…っ」

 私は一人ですすり泣く。何も言わず部屋の隅に立っている青白い体は薄ぼんやりとして後ろの壁が透けていた。
 児玉(こだま)を殺したあの日から部屋で一人になると見えるようになった"それ"が、どんな表情で私を見つめているのか知る術はなかった。電車に轢かれた時、児玉の顔は識別出来ないほどぐちゃぐちゃに潰れてしまったと聞いている。
 だから"それ"には……児玉の幽霊には首から上がない。口がなければ私を責めることも叶わない。児玉は頭のない体を私の方に向けてただじっと佇んでいるだけだった。

「ねぇ、どうすればよかったっていうの…?ああするしか……なかったんだよ……」

 児玉は私の問いかけに答えない。当然だ。今見えている児玉の幽霊は自分の犯した罪の重さに耐えきれずに私が作り出した幻に過ぎない。
 私が殺したから、児玉はもういない。都合良く許してもらえるはずがなかった。


"あ、あああの、香坂さん…!こ、これ落としましたよ"
"わ、ありがとう"
"あ……ま、待って!ぼ、僕、隣のクラスのこ、こだ…こだ…っ"
"児玉くんだよね。委員会が同じの"
"は、はい!そうです!委員会が同じの児玉です…!よ、よかったら…っ、一緒に帰りませんか?"

"は、はい。はいっ、はい!名前で呼んでください!嬉しいです!"
"児玉くんも名前で呼んでね?"
"むむむ無理ですよ!"
"えー…なら私もやめとく"
"あぅぅ……"
"あ、じゃあさ児玉って呼ぶね。ほら、ちょこっとだけ仲良くなれた感じしない?"

"っ、児玉のわからず屋!彼のことよく知らないくせに、悪く言わないで…!"
"……だったら僕が――"

 うっすらと目を開けると付けっぱなしの蛍光灯の光が目に入った。いつの間にか眠っていたのか。不眠症になった私は突然気を失ったように眠りに落ち、悪夢にうなされて一時間も経たずに目を覚ますことが多い。
 睡眠中はいつも児玉の夢を見る。今回はあの日の夢ではなかったことに安堵し、すぐに部屋の隅から感じる視線に背筋を凍らせた。
 頭はないのに確かに児玉の視線を感じる。見えないその目は私を責めていると思った。だって児玉はどれだけ眠たくてももう眠ることが出来ないのだ。

「ごめ…なさい。ごめんなさいごめんなさい」

 許されるはずがないのにうわ言のように繰り返し、私は膝に顔を埋めた。

「天音、起きてる…?」

 しばらくしてノックの音と共に遠慮しているようなお母さんの声が聞こえてきた。もう二週間近く部屋に閉じこもっているから家族にはたくさん心配を掛けてしまっている。
 お母さんは娘が人殺しだなんて知ったらどんな顔をするのだろう。罪悪感から逃れたくて耳を塞いだ。

「今出てこれない?友達が来てくれてるよ。深上くんっていう子」
「……え」

 聞かないようにしたって聞こえてしまうお母さんの声に思わず顔を上げていた。深上(みかみ)くんが私に会いに?
 私の片思いの相手。児玉と揉めることになったきっかけの男の子……恐る恐る視線を遣ると児玉の霊はいなくなっていた。見えないだけで、まだそこにいるのだろうか。

 違う。誰かが近くにいると児玉の霊が見えなくなるのは私の意識が他へ移って、その時だけは児玉への罪悪感も薄れるから。
 恐らく一番会ったらいけない人だということは理解していたけれど、それでもどうしようもなく深上くんに会いたいと思ってしまった。だから、あの日以来初めて家族以外の人と顔を合わせるために立ち上がった。


"話ってなに?"
"あ…の、深上くんのことは諦めた方が……深上くんが香坂さんを好きになることはないと思います"
"なにそれ?私が誰を好きでも児玉には関係ないでしょ。余計なお世話だよ!"
"でも僕…っ、香坂さんのことが好きなんです!香坂さんの傷付く顔を見ることになるのは嫌です…!"

 リビングのドアの前で深呼吸をした。緊張して思い出した記憶は首を振って振り払う。
 大丈夫。立ち寄った洗面所でボサボサの髪を綺麗に整えた。見ないように目を背けてきた自分の顔は少し目立つ隈が出来たこと以外変わっていなかった。人殺しの、恐ろしい顔になっていたらと想像して怖かったけれど、私は私のままだった。
 大丈夫。大丈夫だから。私は思い切ってドアを開けた。

「コーヒーでよかったかな?どうぞごゆっくり」
「あ、はい!ありがとうございます」

 お母さんが気を利かせて退出してしまうと深上くんとの間に沈黙が流れる。
 いつも家にプリントを届けてくれている私の友達が今日は学校を休んだから、クラス委員の深上くんが代わりに届けに来てくれたらしい。こんな風に家に上がってもらうことになって迷惑に思っていないだろうか。

 深上くんとは学校でならそこそこ話していたけど、友達と呼べるほど親しい間柄だったわけでもない。深上くんは仲良くしている友達が男女共に多い人気者だから私なんてまだまだという感じだった。
 でも、仲良くなれそうな気配もあったのだ。前日にあんなことが起こらなければクラスメートの数人と深上くんの家に遊びに行く予定だった。もしも行っていたら多少は深上くんに近付けていたのだろうか。

 チラリと深上くんを盗み見る。二週間振りの深上くんは相変わらずかっこよくて、見ているだけで生きる気力が沸いてくるようで……私は深上くんが好きだなと改めて思った。
 ああでも、お母さんが置いていったコーヒーをひたすら見つめている深上くんは今の状況が気まずいってそればかり思ってるんだろうな。なんだかすごく申し訳ない。

「……ごめん、香坂さん。僕ね……実はコーヒー飲めないんだ……」
「え、コーヒー?」
「うん……子供の頃に間違えて飲んだ父さんのコーヒーが本当に苦くて吐いたことがあるんだよ。情けない話だけどそれ以来トラウマみたいになっちゃってさ、カフェオレすら飲めないんだ。さっきは言い出せなくて……せっかく入れてくれたのにごめんなさい!」

 深上くんは最後に深々と頭を下げた。重い雰囲気で語られる話があまりに予想外で呆気に取られていた私はそれを見て慌てた。

「こっちこそごめんね。お母さんってば聞く前に持って来ちゃうんだから断りづらいよね。私が飲んでおくから気にしないで」
「ありがとう。でも、子供っぽくて恥ずかしいから学校のみんなには秘密にしてね?」
「うん。誰にも言わない!」

 深上くんのちょっとした秘密を知れたことが嬉しかった。この二週間張り詰めていた心が緩んで顔が自然と綻んでいくのを感じる。深上くんも笑っていた。

「元気そうでよかった、なんて言ったら駄目だよね……友達が目の前で事故にあって……香坂さん、一人で苦しんでるんだもんね。でもさ、もうこれ以上自分を責めるのはやめようよ。そんなこと児玉くんも望んでないよ」
「……っ」

 そう、だ……児玉は私の大切な友達だった。恥ずかしがり屋の児玉はいつまでたっても敬語で"香坂さん"なんて呼んでいたけれど、私達は間違いなく友達と呼べる関係だった。異性としての好きではなくても私は児玉のことが大好きで。

 私はその友達を殺した。そして嘘をついたのだ。
 私と児玉の通学路にある踏切は遮断機が壊れて下りなくなっていた。何があったのか聞かれた私は、帰りを急いでいた児玉が警報の鳴っていた踏切を走って渡ろうとして電車に轢かれたと証言した。
 電車の運転手は前方不注意でブレーキを少しも掛けずに通り過ぎるような状況だったから、あの時の私達を目撃した人はいない。罪に問われるのが怖かったからあの日あった本当のことを誰にも話せなかった。
 もしも児玉が成仏出来ずに私の前に化けて出たとしても無理はない。

「さ…ん…香坂さん!大丈夫?思い出させるようなこと言ってごめんね。でも僕、香坂さんの力になりたいんだよ」
「深上くん……ありがとう」

 私の隣に移動していた深上くんが心配そうに呼ぶ声で我に返った。
 深上くんはどうしてこんなに私のことを気に掛けてくれるんだろう。私が違うと思い込んでいただけで深上くんは私を友達だと思ってくれていたのかな。だったら嬉しいな。

「それでさ、」
「っ!」

 深上くんが更に距離を詰めるように座り直し、私の顔を覗き込んだ。本当にすぐ近くに深上くんの端正な顔があったから思わず息を止めてしまう。

「よかったら今度家に遊びに来ない?気分転換になると思うし、学校を休んでいた分の勉強も教えてあげられるよ」
「深上くんの、家に……」

"僕は絶対に反対です!"
"どうしてそんなに邪魔しようとするの…っ?私は児玉の気持ちには答えられないって何度も言ったよね!それに、もう約束しちゃったから!"
"香坂さんは深上くんのどこが好きなんですか?顔ですか?深上くんは香坂さんが思ってるような人じゃないです"

「ご、ごめん…!」

 あの日の前日にした会話が頭を過ぎる。さりげなく重ねられようとしていた深上くんの手が触れる前に手を引っ込めた。児玉はそれを許してはくれないと思ったから。

「……ううん。僕、待ってるよ。いつでも連絡してね」
「…………」

"っ、児玉のわからず屋!彼のことよく知らないくせに、悪く言わないで…!"
"ほら、やっぱり答えられないじゃないですか!そうだ……だったら僕が深上くんになれたら、香坂さんは僕と付き合ってくれますか?"

 優しい深上くんの微笑みに何も答えず俯いた。あの時児玉に、"深上くんになれるんならね"と答えたことを心の底から後悔しながら。

 深上くんが帰り、部屋に戻ろうとした私を追ってお母さんも部屋に入って来た。
 深上くんに会うまでは誰にも会いたくないと思っていたのに今は誰かがそばにいてくれることが嬉しく感じる。お母さんとの何でもない会話にほっとしていた。

「ふぁぁーー」
「ふふ、大きなあくび。夕飯まで眠ったら?今日は天音もお母さん達と一緒に食べよう」
「ん、そうしようかな……」

 なんだか今なら怖い夢を見ないような気がして素直にベッドに横になる。お母さんは安心したように笑ってから部屋を出て行った。

 睡魔に抗わずに目を閉じ、少しすると真っ暗闇の中でまたあの視線を感じる。児玉のことを忘れていたわけじゃない。でも、私は安らいでしまっていた。
 児玉はそれを責めているのか、それとも私自身が友達を殺した自分を許すことが出来ないのか……視線を感じながら寝付くことは出来なくて上半身を起こすと、部屋の隅を見た。いつもの場所でぼんやり立っている児玉と目が合った。

 目が、合う。私と児玉の視線が交差して、児玉の目玉がギョロりと動いた。

「な…んで……」

 なくなっていた首から上がある。死ぬ前と同じ、でもとても青白い児玉の顔が見える。
 なんで、なんで…?深上くんと会ったから?お母さんと呑気にお喋りしてたから?私のこと恨んでるの?

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!」

"だーれだ?"

 児玉の顔を見るのが怖くて、児玉の声を聞くのが怖くて、固く目を閉じ耳を塞いだ。それでも頭の中で声は聞こえ続けた。
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