創作夢

□モールス信号は恋のシグナル
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 夏休みが始まってから十日目。テレビから流れる競馬中継の音声と、熱くなる森崎さんの声は外にまで漏れていた。
真昼間から浴びるように酒を飲み、テレビ相手に文句を言っている森崎さんの熱中具合は私が入店したことにも気付かないほどで。私はこそこそと店の奥に向かう。

 大音量の競馬中継の音に混じって聞こえてくる信号音が懐かしく、とても嬉しい。確かこのリズムは"応答願います"の意味だ。二度目になると罪悪感は大分薄れ、私はカーテンの向こう側の世界へと再び足を踏み入れた。

 本来はまだ見る権利のない私を、棚に並んだ大量のアダルトビデオが出迎える。正直そういった物に興味がないと言えば嘘になるけれど、少なくとも今このときは両脇の棚に全く目がいかない。通路を直進してレジの裏を覗き込んだ。

「トーイくん、久しぶり!」
「君は……」
「うん?」
「……もぐもぐ」
「そんなぁ……私のこと覚えてないの?」

 十日振りのトーイくんは私の顔をチラリと確認すると速攻で視線を逸らし、ごまかすように大袈裟にグミを噛み始める。トーイくんと会えるのを心待ちにしていただけに自分でも驚くほど情けない声が出た。

「天音も食べる?」

 トーイくんがゆっくりと体を起こす。袋を逆さまにしてグミを五個乗せた手の平を見せて小さく微笑んだ。本当に一瞬だけの微笑みで、すぐにまた眠たげでぼんやりしたような表情に戻ってしまったけれどそれで十分だった。不意打ちで名前を呼んで、こんな風に笑うなんてちょっとずるい。

「っ、た、食べる!」

 ピンク色したグミはハート型。何でもないことが何故だか無性に気恥ずかしかったから一気に全部取って口の中に入れる。表面がザラザラとしたグミ五個分の酸っぱさに涙目で耐えた後は、甘いピーチの味が口の中いっぱいに広がった。

 丁度布団一枚分のスペースのレジ裏はトーイくんが勝手に持ち込んだと思われる物で溢れかえり、生活感のあるくつろぎ空間と化していた。散らかってるけど……と招かれて、ここはトーイくんの部屋か!と心の中で突っ込みを入れながらそのおかしな空間にお邪魔させてもらう。
 ノートパソコンや小型冷蔵庫、電気ポットなどが新しく増えていることから、アダルトコーナーでの彼の生活はより快適なものとなっているであろうことが窺えた。ただ、ごちゃごちゃと物が増えた割にゴミは見当たらないから前より片付いている。

 トーイくんは同い年の女子と二人きりで布団の上に座っている状況でも黙々とグミを食べ続けていて、マイペースそのものだ。私なんか全く意識されていないってことが何となく悔しい。
 私は私で、レジ裏の関係者専用ドアに貼られているグラビアアイドルのポスターに気を取られていた。このポスター自体は元からあった物だろうが、ポスターの上に明らかに変なノートの切れ端が貼られている。紙には点と線の記号が手書きで記されており、意味深な暗号のようにも私の知らない国の言語のようにも見えた。

「トーイくん、これって秘密の暗号文?スターチルドレン独自の言語?」
「違う。モールス信号」

 トーイくんはそれはもうあっさりと否定した。"モールス信号"って名前だけなら聞いたことがある。あの不思議な音もモールス信号だったんだ。

「今までこの場所からモールス信号で仲間のスターチルドレンに働きかけてたの?これから何か大きなことを成し遂げるために!」
「スターチルドレンの使命は特にない」
「ないの!?」

 思いがけない答えだった。異星人が地球人に転生したなんてすごい設定なのだから、当然そこには更に面白そうな話が付随していると思っていた。トーイくんは話している最中にもグミを一袋食べ終わり、きちんとゴミ箱に捨てている。

「何か理由があって転生したんじゃないの?例えば地球に巨大隕石が近付いていて、それを地球人に教えるためとか!」
「強いて言うなら地球人として生き、地球人を見守り、地球人の友達を作り、地球人と恋をして、地球人と子供を作り、地球人として死ぬこと」
「それって普通の地球人とどこが違うの?」
「え……ぐーぐー」

 私の素朴な疑問に目を丸くして固まった後、棒読みで擬音を言いながら寝たふりを始めたトーイくんに苦笑してしまう。どこが違うか答えられなかったんだね……。

ツートトツー ツート ツーツートツー

 仕方ないと立ち上がると、バレバレの寝たふり中のトーイくんがあの不思議な音……いや、モールス信号を鳴らす。初めて聞く響きだった。

「今のはなんて意味?」
「またね」
「……うん!」

 私って単純かもしれない。"またね"その言葉が嬉しくて嬉しくて、金欠のくせにモールス信号の本を買って帰ると心に決めた。ポスターの上の暗号文を携帯で撮ってから元の世界へ帰還した。

"・・・ー  ・・ ・・ー・ー ・ーーー ーー・ーー ー・ ・ーー・・ ー・ーー・ ・・ー・・ ーー  ・ー・ー ーーーー  ーー・・ー ・・  ー・・ー ーーー・ー"
"ぐみをあたえるとよろこびます"

 ポスターの上に貼られていた暗号文とモールス信号の本に書かれている符号を照らし合わせたらトーイくんのことが一つわかった。
モールス信号にはそんなに興味がない。でも、トーイくんには大いに興味がある。もっと知りたいと思うからグミを手土産に明日も彼に会いに行く。


 コンビニでトーイくんの好きそうなグミを買って意気揚々と入店したものの……本日の森崎さんの心のお天気は雲一つない快晴。「おう、元気か?」なんて片手を上げ、上機嫌で迎えてくれた理由は昨日パチンコで十万勝ったからだそうで。
今日はトーイくんに会えない予感にうなだれながら白黒映画コーナー前をうろうろしていると、あの黒いカーテンから男の人が出て来た。

 久しぶりに他のお客さんを見た。私以外の客なんて夏休みに入ってから一度も見ていなかったから、もう都市伝説の類いになったのかと思っていた。珍しいものを見たと思わず凝視すると、大学生くらいの若い男の人は手に持ったDVDを気まずそうに抱えてレジへと向かう。
そんな姿を見て一つの疑問が生まれる……トーイくんって、あそこがアダルトコーナーだと理解しているんだろうか?

「おい、中学生。お前どうせまた時間掛かるんだろ?二階にいるから用があったら声掛けてくれ」
「え、他のお客さんが来た……ら……都市伝説ですよねー…」
「……シバくぞ」

 森崎さんはCDコーナー近くの関係者専用ドアの中に入っていってしまった。
現在三十代半ばの独身森崎さんはこの店の二階部分である自宅で一人暮らし中だ。美味しい肉じゃがを作ってくれる彼女を募集中らしいが、競馬やパチンコに明け暮れているようでは春は遠いよね…と私はたまにお母さんと話している。
 何はともあれ、これで心置きなくアダルトコーナーに入れるのだ。森崎さんは私を信頼しているから店を留守にしたのだとわかるだけに裏切るのは心苦しいけれど、トーイくんに会いたい気持ちが勝った。帰りにアルバム三枚借りるからと言い訳しながら不良への道を歩むしかなかった。

 今日はカーテンの奥からモールス信号が聞こえてこない。トーイくんは来ていないのだろうか?
珍しく静かなアダルトコーナーの雰囲気にあてられ、私も息を殺してレジに近付いていった。すると、トーイくんは腰が抜けたみたいにぺたんと布団に座っていた。
 どうも様子がおかしい。ヘッドホンをしている顔は茹でダコみたいに真っ赤で、ノートパソコンの画面を見つめながら口をパクパクさせている。私の存在に気付かないくらいトーイくんの目を釘付けにしているものがなんなのか、沸々と好奇心が湧いてこっそりレジ裏へ回る。
 覗き込んだパソコン画面に映っていたのは、大人が子供に隠したがっている刺激的な世界。裸の男女が絡み合う映像だった。

「AV見てるの!?」
「っ!わああっ!ノックくらいして!」
「ご、ごめん……あ、でもノックってどこにすればいいの?」

 ビクッと肩を揺らして私に気付いたトーイくんがノートパソコンを慌てて閉じる。そしてすかさず声を張り上げ「どこでもいいよ!」と投げやりに返してきた。
トーイくんのこんな大きな声を聞くのは初めてだし、新たな一面を知ってしまった。教室でふざけて下ネタを言っている男子達みたいにトーイくんもアダルトビデオを見たりするんだ。地の利を生かすとはまさにこのことだね。

「ち、違…っ、さっきここに来た客がこれおすすめって言った!天音来ないし暇だから見てみようって思って。こ、こんな…っ、こんなのだって知らなかった!」

 まだ何も言ってないが私の考えていることがわかったらしい。トーイくんは閉じたノートパソコンを抱いて立ち上がるといつになく饒舌になった。グラビアアイドルのポスターを背にして、言い訳をするかのようなその声は上擦っている。視線は私の後ろ……アダルトコーナーの棚へと注がれ、右の棚を見ては左の棚を見て忙しい。

「う、家のクーラー壊れてる。この店はいつも涼しい。でも店の中で布団敷いたら怒られて…っ、ここならバレない。だからここにいた。本当だよ…!」

 いつも短く区切って話す癖のあるトーイくんはきっと、話をするのがあまり得意ではない。それでも私の誤解を解こうと一生懸命話してくれている。トーイくんの言葉に嘘はないということはすぐに伝わった。
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