創作夢

□モールス信号は恋のシグナル
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"この先18歳未満立入禁止 ガキは家に帰って勉強でもしてろ!"

 アダルトコーナーの仕切りのカーテンには赤い文字でそう書かれていた。
中学生の私が入れない黒いカーテンの向こう側にどんな光景が広がっているんだろう。大人が子供に隠している世界を見てみたい。きっと魅力的で、刺激的な世界だ。

 元ヤンと噂の金髪強面店長が一人で切り盛りしているレンタルビデオショップモリサキ――
新作映画や新譜CDの入荷が遅く品揃えもマニアックなこの店は駅前のチェーン店に客を取られてガラガラだけど、私は案外気に入っていた。新作を先に借りられる心配はないし、目付きも口も悪い店長の森崎さんは貧乏学生の料金をおまけしてくれたり、実は良い人だ。
家の近所ということもあって幼い頃からよく利用している。心待ちにしていた夏休みを迎えて浮かれる私は終業式帰りに映画を借りに来ていた。

ツートツート ツーツートツー
ツートツート ツーツートツー

 店の奥から聞こえてきたのは初めて耳にする電子音だった。店の出入口から最も遠い位置にひっそりと設けられた18歳未満立入禁止コーナーの前に立ち、首を傾げる。
18歳未満の客に向けた警告文が目に痛い厚手の黒いカーテンは床まで垂れ下がり、この先を完全に覆い隠している。不思議な音の出所はカーテンの奥からだった。

 幼い頃、どうして私はここに入ったらいけないのか聞いてみたことがある。お母さんは少し困った顔をしてから答えた。このカーテンは別の世界に繋がっていて子供が入ったら二度と帰ってこられなくなるのよ、と。私は怖いから絶対に入らないと思ったのと同時に、その世界に強く心惹かれた。

 以来、借りるわけでもないのにカーテン近くの白黒映画コーナーへ頻繁に足を運び続け、わかったことがある。大人は子供がいる前では決してカーテンの中に入らないのだ。必ず私がその場を離れた隙を見計らって入室し、出て来た大人達はみんなこぞって俯きながら足早にレジへと向かう。
 その様子は何かとてつもない秘密を隠しているように見えたから、私は馬鹿なことを大真面目に考えてしまうのだ。
カーテンの先にあるのはアダルトコーナーや怖い世界なんかじゃない。空が飛べる魔法の世界、飴玉の雨が降るお菓子の世界、お姫様になれる夢の世界……大人はそんな楽しい世界を私達子供に隠しているんじゃないかって。

ツートツート ツーツートツー
ツートツート ツーツートツー

 不思議な音は鳴り続けている。店長の森崎さんはさっき出入口横のレジでいびきをかきながら眠っていた。となると一体誰が、何の目的でこの音を鳴らしているのだろう?
……もしや、異世界からの通信音?
 私は溜まった唾をごくりと喉を鳴らして飲み込んで、店内を見回した。私以外に客はいない。爆睡中の森崎さんはしばらく起きそうにないし、この店の防犯カメラが実はダミーだってことも知っている。今ならカーテンの中に入っても誰にも気付かれることはない。

 黒いカーテンの向こう側、大人が隠している世界をずっと覗いてみたかった。私を誘うような音に背中を押してもらい、ぎゅっと目を閉じカーテンをめくった。
一歩踏み出してゆっくり目を開けると、カーテンの先は異世界――

 なんてことはなかった。狭い通路の両脇に棚があって裸の女性が写った、声には出せないタイトルのパッケージがズラリと並んでいる。いわゆるアダルトビデオというやつだ。アダルトコーナーには初めて入ったけれど多分どこの店もこんな感じだと思う。

ツートト ト トトツートト トトツー トツー ツートツー

 一つだけ普通と違うのがこの不思議な音。通路の一番奥に用意されているアダルトコーナー専用レジの方から聞こえるようだった。森崎さんしか店員がいないためここのレジは長らく使われていないようだ。
私は無人のレジに近寄ると慎重に身を乗り出してレジ裏を覗き込んだ。レジの裏の床には布団が敷かれ、お菓子のゴミやゲーム機、漫画なんかが散乱していた。

「「あ」」

 布団の上で横になり、こちらを見上げていた男の子と目が合って同時に声を漏らす。
不思議な音は男の子が手に持っているスマートホンから出ていた。なんだか眠たげな目をした男の子で、中学生くらいに見える。同じく中学生の私が言えた義理ではないかもしれないけど、どうして彼はアダルトコーナーでこんなにもくつろいでいるのだろう。

「スターチルドレン?」
「え?」

 彼がグミを口の中に入れて口元をもごもご動かしながら首を傾げる。が、まず"スターチルドレン"ってなに?

「スターチルドレンスターチルドレン……あ、芸能人の子供ってこと?」
「違う。地球人に転生した異星人」
「あはは、そんな人いるわけ……」
「僕がそれ」
「え……」

……カーテンの先には期待していたような異世界はなかったけれど、変わった男の子がいました。


「ねぇ、さっきの音で何を伝えようとしてたの?」

 彼に聞きたいことが山ほどあった。そのうちの一つを質問すると男の子はスマホの画面に素早く指を滑らせ、カーテンの外で何度も聞いた不思議な音を再び鳴らした。

「これはCQ。応答願いますって意味」
「ああー、なるほど!その後の音は?なんかリズムが変わってちょっと長めになってたよね」

ツートト ト
ツートツー

「最初のはDE。"こちらは"って意味。最後はK。"どうぞ"って意味」

 男の子が私の質問に合わせて音を変えながら教えてくれる。わかったような、わからないような。それでもやはりちゃんと意味のある音だということは間違いないようだ。

ツートト ト トトツートト トトツー トツー ツートツー

「こちらはトーイ。どうぞ」

 体を起こした男の子は空っぽになったグミの袋を適当に放って首を傾げる。トーイって彼の名前か。今度は私が返事をする番ということなんだろう。

「私は香坂天音だよ。中二です。トーイくんは何年?ていうかここで何してるの?お客さんだよね?勝手に布団持ち込んで怒られない?それとさっきは異星に通信を呼び掛けてたの?あの音は異星人だけが解読出来る暗号だったりするの?」
「…………」

 スターチルドレンという話を本気にしたわけではないけれど、私もアダルトコーナーに夢を見ている人間だけあって変わった話を聞くのは好きだった。
でもさすがに一度に聞きすぎてしまったらしい。トーイくんは困り顔で目を擦った。

「……同い年。あとは、えっと……ばたり」

 トーイくんが言葉の途中で突然力尽きたように頭から布団に倒れ込んだ。わざわざ自ら"ばたり"と口に出して。

「ど、どうしたの?」
「エネルギー切れ」
「あ、ごめんね。いろいろ聞いちゃ…って、寝ちゃったんだ……」

 一瞬で眠りに落ちたトーイくんは気持ち良さそうにむにゃむにゃ言いながら寝返りをうった。仰向けになったおかげで顔がよく見えるが普通にモテそうなルックスをしている。思うに黙っていればかっこいいのにね〜なんて周りから言われる何かと損なタイプと見た。
 私と同い年でも同じ学校ではないと思う。学校で見かけた覚えがない。
トーイくんが結局何者で何故ここにいるのか不明なままだけど、またここに来れば会えるはずだと根拠もなく考えていた。だから私は、楽しい夏休みになりそうな予感にわくわくしながらカーテンをくぐった。

 帰りはアダルトコーナーに入ってごめんなさいの意を込めて三本も映画を借りた。いつもは旧作を一本しか借りないのだから私なりに頑張った結果だ。
そんなお財布事情を知ってか知らずか「映画ばかり見てないでガキは外で遊べ!外で!」なんて怒鳴りながらも密かに料金をおまけしておいてくれるから、この店が好きなんだ。


 今日こそはと意気込んで店内に入ると、私の顔を見た森崎さんが露骨にため息をついた。今日もアダルトコーナーに入れないことがほぼ確定的となってしまい、私も内心ため息をつく。
落ち込んだ様子の私に森崎さんは「茶でも飲むか?」と勧めてくれた。どうも森崎さんから"友達がいない寂しい奴"と思われているということは、私への態度が日を追うごとに同情的になってきていることから感じていた。が、それでも私は懲りずに店に来ている。

 そう、私は夏休みに入ってからというもの毎日店に来ては機会を窺うために長居している。もう一週間以上経つが、前みたいなチャンスは簡単に訪れるものではなかった。あれ以来トーイくんには会えていないし、あの不思議な音も一度も聞こえてこない。
せっかく面白い男の子と知り会えたと思ったのに……私はガックリと肩を落としながら「お茶いただきます」と、レジ前に置かれたパイプ椅子に座ったのだった。

「うん、まあなんだ。あれだな、勇気を出して一歩踏み出すことが大事だ。失敗を恐れるな。いつの時代もガキに必要なのは友情、努力、勝利って相場は決まってんだからな」
「は、はあ……」

 真剣にアドバイスしてくれている森崎さんには悪いけれど、私は何事にも割と積極的な人間であると自負している。だから今日もトーイくんに会いに来た。
そもそも私があの中に入れないということはトーイくんも同じ状況であると考えるのが自然だろう。だけど私がこうしている間にもトーイくんはあのカーテンの向こう側でくつろいでいるように思えてならなかった。

「ったく、ちっとは外に出ろって言ってんのに家でゴロゴロしやがって」
「え…?私はこの店に立ち寄った後に結構遊びに行ったりしてますよ」
「……いや、すまん。こっちの話だ」

 天を仰ぎ見ながら愚痴のようなものを漏らしていた森崎さんは苦笑いを浮かべた。
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