創作夢

□sugar sweet time
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 私がクラスメートの佐藤瑠生(るい)という男子について知っていることは少ない。
 中学、高校と同じ学校に通っているものの、教室の隅で一人で本を読んでいる大人しそうな男子、程度の認識で。彼の存在を今まで特別に意識したこともなかった。


「あ、ありがとう!これ、佐藤くんの手作りなの?」

 校門前で私を待ち伏せていた佐藤くんに手渡されたのは、透明な小袋に入ったチョコレートだった。
 "Dear 香坂さん"と記されたメッセージカード入りだ。真っ赤な顔をした佐藤くんが唇を噛みながら何度も頷く。
 その反応で何となく察する。直接的な言葉はないけれど、バレンタインに男子からの逆チョコ……これは告白と捉えていいんだろう。

「た、食べてみて」
「え?あ、うん。いただきます」

 今ここで?と聞き返すのはやめて、小袋から取り出したチョコを口に入れる。その様子を不安げに見つめる佐藤くんと目が合って、意外と彼が童顔で可愛い顔をしていることに気付かされた。
 でも、反応を気にしているであろう肝心のチョコは変な味がする。錆び付いた鍋でチョコを溶かして鉄錆が混ざってしまったみたいな……不味いというより具合が悪くなりそうな味だ。

「甘さ控えめだね」

 吐き出したくなるのを堪えて飲み込むと、感想をひねり出した。不味いとも美味しいとも言わずにニコッと微笑む。
 正直これが精一杯なのだけど、佐藤くんは私の言葉を聞いてよろけて、顔を上げた時には雰囲気を一変させていた。

「……甘く…ない…?甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘いチョコレートに、香坂さんへのスキをいっぱい込めて作ったのに……甘くないって……そう言うの?」

 瞳孔の開ききった目でギョロリと私を見る。まだ頬の赤みも引いていない状態で目を血走らせ、同じ言葉を繰り返し口にする佐藤くんが急にとても不気味に思えた。

「……絶対、絶対、甘いはず……だって……」

 静かな声が震えている。佐藤くんはおもむろにコートのポケットに手を入れ、何かを取り出した。その際、服の袖がまくれて白い手首が露出する。佐藤くんの手首にはくっきりと痕が残った過去の傷と、つい最近のものと思われる切り傷がいくつもあった。
 痛々しい光景に呆然とする私の目前に、傷だらけの手首が迫ってくる。黒い何かが私の首に素早く押し当てられた。
 激痛が走る。全身の力が抜けていって、体がグラリと前に傾いていく。

「だって、すっごく痛かったんだから」

 遠くなる意識の中で最後に見たのは、佐藤くんの冷たい瞳だった。



 今日も頭上からサラサラと砂糖の粉雪が降る。それはビンの中、溜まった水に溶けていく。白く濁った、甘い甘い砂糖水の底に敷かれた金平糖の砂はもう見えない。
 それでも彼はうわ言のように「砂糖が足りない」と呟き、砂糖を継ぎ足していった。

「ここから出して…っ、お願い……だからぁ…っ」

 力無くガラスを叩く。悲痛な叫びは、虚ろな目で砂糖を降らす佐藤くんには届かない。立ち続ける体力も気力も残っていなくて、すぐに後ろのガラスを背にして座り込んだ。

 ここに閉じ込められてから何日が過ぎただろう。私は水族館の水槽のように大きなビンに詰められ、砂糖漬けにされている。
 ビンの中に入っていた水と金平糖で飢えを凌いできたけれど、金平糖は残り僅か。水も足首の辺りまでしか残っていない。小さな金平糖で空腹が満たされることはなく、甘い甘い砂糖水では喉は渇いたまま。
 最初の頃、腹痛で苦しんでいたのが嘘みたいに排泄をしたいと思うこともなくなった。私の体は衰弱していくばかりで、緩やかに、だけど確実に死へと近付いている。

 佐藤くんは砂糖を足すのを中断し、ビンの外側に立て掛けた梯子を静かに降りていった。
 私は上を見上げる。ビンは蓋がしてあるわけではなくて、常に開いた状態だ。必死でジャンプをするともう少しで指が届きそうなのに、何度やってもあと数センチ及ばない。ビンの中は広すぎて手足を張ってよじ登ることは出来ないし、内側から道具もなしにガラスを破ることは不可能だ。
 このビンの中から自力で脱出する方法はないように思える。声が枯れる程大声で助けを求めてみたこともあったが、無駄に終わっていた。閉じ込めた張本人の佐藤くんしか、私をここから救い出せる人間はいないのだ。

「甘く、甘くなってね」

 佐藤くんはビンの前に座ると、暗い瞳で私に笑いかける。ぐったりして動かない私を見ていても面白くないだろうに、一日中ビンの外に張り付いて飽きることなく眺め続けていた。
 このままだと確実に殺される。私は水槽の中の熱帯魚ではない。後で食べようと楽しみに楽しみに取ってあるお菓子なのだから。

 簡単にイメージ出来る恐ろしい未来が、とっくに限界を迎えている私の体を動かす。
 佐藤くんの目の前の位置まで何とか這いつくばって移動した。やっぱり首が痛い。スタンガンを押し当てられたと思われる首の箇所が赤く腫れ上がり、首や頭を動かすと痛みが生じて、私をいつまでも苦しめていた。

「佐藤くん……ど…したらいいの?どうすればここから出られる?いつになったら……」
「……香坂さんが砂糖みたいに甘くなったら」

 佐藤くんは一拍置いて答えた。何度聞いても同じ答え……だけど、今回はいつもと違った言葉を重ねられた。

「ねぇ、僕の脳みそをとろとろにとろけさせる、甘い甘い言葉をちょうだい?」
「あま…い言葉……」

 佐藤くんがガラスに手を当ててこちらに顔を寄せながら「そうしたら解放してあげるよ」と囁く。甘い言葉…?
 私は佐藤くんをぼんやり見つめる。やつれた顔で薄ら笑いを浮かべる佐藤くんはあまりに病的で、彼の気持ちが全く理解出来ない。

 でも、甘い言葉を言うことが出来ればここから出してもらえる。これは願ってもないチャンスだ。
 何故こうなってしまったのかわからないけれど、彼はバレンタインの日までは私に好意を持っていたはず。もしもその気持ちが変わっていないならば、彼の求める甘い言葉が何なのか自ずと答えは見えてくる。

「佐藤くん……私ね、あなたのことが好き」

 薄っぺらい偽りの愛の言葉を口に出す。ガラスを隔てて佐藤くんの手の平に自分の手を重ね合わせる。
 しかし、佐藤くんはすぐに手を引っ込めた。

「そんな言葉じゃ物足りないよ。全然甘くないんだもの」
「さっ、佐藤くん大好きだよ!愛してる!」

 私は必死になって嘘の告白を続ける。佐藤くんの表情が曇っていくのがわかったけれど、どうすることも出来ない。だって、他に甘い言葉なんて浮かばなかった。

「だからさ、全然甘くないんだよ!甘くない。甘くない。甘くない。甘くない甘くない甘くない甘くない…っ!あ゙あああっ!!」
「ひぃっ」

 佐藤くんがガラスを叩き、髪を掻きむしりながら奇声を上げる。その異常さに私が固まっていると、ビンの外にたくさん散らばっているビニール袋からナイフを取り出した。
 その袋には新品の砂糖しか入っていないと思っていたのに……。
 慌てて後ろに下がり、ガラスに背中をぶつける。逃げ場なんてないと知っていてもそうせずにはいられない。

 怯える私が見つめるなか振り上げたナイフの切っ先は、佐藤くん自身の手首に向かって下ろされた。そのまま勢いよくナイフを引き抜くと、ビンの外側にも返り血が飛んで、ガラスに沿って下に流れ落ちていく。
 佐藤くんは縦に深々と傷を作った手首を押さえながら、おぼつかない足取りで近付いてくる。思わず身構えたけれど、ビンを背にして座っただけだった。

 背中越しでは佐藤くんの様子は窺えない。
 傷……手当てしなくても大丈夫なんだろうか。全然動かないから不安に襲われる。
 それでも、佐藤くんの傍らにある血で汚れたナイフが怖くて、私は静かにしていた。



 恐らく数日が経った。最近は意識が朦朧とすることが多くなった。
 それに、すごくすごく寒い。手足が痺れていて、感覚があまりない。ビンの中の水は飲んだら生温いというのに、その水に浸かり続ける体は凍えていた。
 青白い顔で激しく震えている佐藤くんは私以上に衰弱しているように見える。怪我の手当もせずにビンのそばから離れずにいるのだから無理もない。このままでは私より先に佐藤くんが死んでしまうだろう。
 私が、佐藤くんを殺している。

"世界で一番愛してる"
"優しく抱いて?"
"私には瑠生くんだけだよ"
"甘いキスをしてほしいの"

 思考力が低下する一方の私が絞り出す言葉は、佐藤くんを満足させることが出来ない。
 私が答えを間違うと、佐藤くんは必ず自分の腕を傷付ける。その度に悲痛な声を聞かされて、私まで頭がおかしくなりそうだ。
 手首だけだった傷が腕全体に広がり、床には血だまりが出来ていた。
 もう、無理なのかな。何故こんな目にあっているのか理由もわからず死ぬのだろうか。

 頭上から砂糖の雪が大量に降り注ぐ。スプーンで少しずつ落としていた頃とは違い、袋を逆さまにして雑に中身をぶちまけている。
 水かさが減った砂糖水に新たな砂糖が溶けることはない。無くなった金平糖の代わりにビンの底に降り積もっていた。

 佐藤くん、これでもまだ砂糖は足りないの?
 砂糖に混ざって時々ポタポタと落ちてくるしょっぱい滴と、赤い雨が悲しかった。


「私を閉じ込めた理由だけでも教えてくれないかな……」

 半ば滑り落ちるように梯子から降りた佐藤くんに話し掛ける。
 肉体的にも精神的にも憔悴しきっているせいか、恨みや怒りの感情はもう湧いてこない。ただ、理由を知りたくて。

「……片想いを拗らせたんだよ。恋って病気だから」

 佐藤くんは顔だけ私の方へ向けてゆっくりと話し始める。
 チョコをもらった時に可愛いと思った印象は、やつれていても変わらない。こんな機会でもなければ長時間佐藤くんを見つめることなんてなかったんだろうけど。

「中一で香坂さんを好きになって、最初は純粋に両想いになりたいと思ってたよ。だけど、片想い三年目には金目当てとかでいいから付き合ってくれないかなって。四年目になると、なんかもう奴隷でも何でもいいからそばに置いてほしいと思うまでに重症化しちゃった。変な話だよね……」

 佐藤くんがそんな前から私を好きでいたことに気付かなかった。もしかして私が好きだったから同じ高校に入学したのだろうか。
 でも、それならばもっと……

「……で、も……私と佐藤くんは」
「そう、他人だよ。何の関わりもない。だから言ったでしょ。僕が勝手に片想いを拗らせただけなんだ」

 佐藤くんが私の言葉を遮って、寂しそうに笑う。見ていたら哀しい気持ちになるこの穏やかな笑みが、本来の佐藤くんの笑顔だったんだろうか。
 私にはわからない。中高と同じ学校に通っていても彼のことを何も知らないから。

「……あ…れ。中一から数えたら今は五年目になるんじゃないの…?」
「うん。五年目の今はね……ごめん。やっぱり言わないでおくね。香坂さんに言ってほしいから」

 片想い四年目で奴隷でもいいからそばにいたいと思っていた佐藤くんが、五年目の今は何を思っているのか。私とどんな関係になることを望んでいるのか。
 その答えがきっと佐藤くんの求める甘い甘い言葉。考えようにも妙にまぶたが重くて、意識がプツンと途切れた。


 今日は何日だろう。大量の砂糖と一緒に私はまだビンの中に詰められている。佐藤くんも砂糖を足す時間以外はビンに寄り掛かったまま動かない。
 お腹が空いた。体中が痛い。寒い。寒い。苦しいよ。緩やかに近付く死が恐ろしい。こんなに苦しいのなら、いっそのこと眠りから覚めなければいい。
 そう、切に願うのに……足元には命を繋ぐ水がまだ少しだけ残っていて、惨めにもその甘い甘い砂糖水に口を付けてしまう。すると目を覚ます体力が生まれて、苦しくて仕方がないのにこうして生き長らえている。

 ビンの中で横たわる私は全身砂糖漬けで、体の中には砂糖しか詰まっていない。佐藤くんの望み通りにとっても甘いと思うの。
 だからどうか、佐藤くんの手で解放して。

「……佐藤くん、お願い……私を食べて」

 それが、佐藤くんの望んでいることでしょう?

「……あはっ、僕をとろけさせる甘美な言葉だね!」

 佐藤くんはうっとりとした表情で目を閉じてから、初めて満面の笑みを見せる。その笑顔は心待ちにしていたおやつの時間になってはしゃぐ子供のようだった。
 軽やかに梯子を登る彼は、どんな形で私を解放してくれるだろうか。

End
 

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