創作夢
□男の娘×女の子←男の子
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「……凛さん!」
「俺も会いに行こうと思ってたんだ。天音さ……いや、天音くん。さっきは失礼なことをたくさん言ってしまってごめんなさい!」
「そ、そんな…!顔を上げて!私の方こそごめんなさい。実は私は」
学校中を探し回り、校舎裏でやっと見付けた凛さんが深々と頭を下げる。顔を上げてもらったそのまぶたは腫れていて痛々しい。
私が探している間に泣いたんだろうな。教室で大勢の人から責められたあげく、庇っていた相手も自分を男だと認めたなんて泣きたくもなる。私も釣られて泣きそうになるけれど、性別の誤解を解くのが先だ。
「あっ、天音くんは謝らないで。俺が勝手に勘違いしてただけだから……最初はショックだったけど天音くんの笑顔を思い浮かべたらね、性別なんか関係ないって思えたんだ。だ、だから俺……いや、私は……何て言うかその……ノ、ノンケなんだけど!やっぱり天音くんもそうだよね?」
「え……」
頬をうっすら赤く染めてもじもじしている姿はとても可愛いんだけど、凛さんの言葉がショック過ぎて体に力が入らなくなる。
ノンケっていうのは男の子なら女の子を、女の子なら男の子を、性愛の対象とする異性愛者ってことでしょ。性別なんか関係ないと思えた、って言葉はどこへ行ってしまったんだろう。男の子じゃなければ凛さんに好きになってもらえないじゃないか……。
「やっぱりそうだよなぁ……ノンケに決まってるよね」
私は質問に答えなかったが、凛さんは自分の中で納得したのか、うんうん頷いた。
「……よしっ、言う。私は天音くんが好きです!」
「……っ」
少しの沈黙の後、綺麗な瞳に射抜かれて思わず息を飲む。躊躇なく思いを告げる彼女は、なんてかっこいいんだろう。外見は可愛くて美人さんだけど、内面は男前だなんて思ったら彼女に失礼だろうか。
「覚えてないかな?中学生の頃、駅のホームで落ち込んでいた私に声を掛けてくれたこと。あれからずっと天音くんを探してた。最近違う駅でこの学校の制服を着てる天音くんを見付けたんだ。声を掛けようとしたんだけど、間に合わなくて」
「…………」
どうしよう。凛さんが懐かしそうに話してくれるのに私にはその時の記憶がない。そもそも凛さんとは初対面としか思えなかった。これほどの特別な美少女なら記憶に色濃く焼き付いているはずだ。
必死で記憶を辿っても思い浮かぶのはある男の子の顔だけだった。
二年前に一度だけ、駅で見知らぬ男の子に話し掛けたことがある。自分でも何故そんな大胆なことが出来たのかはわからない。でも、鞄に顔を埋めて椅子に座っていた彼が、無性に気になったから。
最初は無視されたけれど、構わずくだらない話をし続けたら急に吹き出して顔を上げてくれたのだ。笑ってくれたのが嬉しくて嬉しくて、私の胸は高鳴っていた。
これは私の初恋の記憶だ。私は名乗った気がするが彼の名前は聞きそびれてしまった。
一年くらいは彼のことを思い出してドキドキしていたけど、あれ以来一度も会っていない。今では良い思い出になっていた。
「覚えてない……ごめんね。二年前に男の子に話し掛けた記憶ならあるんだけど……って、そんなのどうでもいいよね!ごめんなさい!」
「い、今の話って本当!?」
「う、うん。ごめんね」
余計な一言をつけ加えてしまったと思ったが、妙に嬉しそうな凛さんは気分を害さなかったようだ。
「あーーもう!本当に性別とかどうでもいい。天音くんが好き。大好き!俺と、じゃなくて私と付き合ってください!」
「っ!わっ、私は……」
私の中の悪魔が囁く。男の子として彼女と付き合ってしまえ。本当の性別はいずれ打ち明ければいいじゃないか、と。
「僕でよかったらよろしくお願いします!」
「わ、私っ、天音くんを一生大事にするからね」
「僕もだよ……凛!」
あぁ……悪魔の声に傾いてしまった。凛さんの眩しい笑顔と逆プロポーズのような言葉に、胸が破裂してしまいそうだ。
もしも私が凛さんの立場だったらこのタイミングで彼氏に名前を呼び捨てにされたい。と思って無駄に男の子に成り切る私は、なんて罪深いんだろう。
だけど、絶対に彼女を幸せにする。私が凛さんに出会って初めて同性に恋をしたように必ず凛さんの気持ちも動かしてみせるから。
「いやあ、海より深いねぇ……」
一ヶ月前のことを鮮明に思い出し、しみじみと呟く。横を歩く凛が独り言に反応して「ん?」と小首を傾げて私を見た。私より背が高くて綺麗系な凛だけど、時々見せるあどけない表情がたまらなく可愛い。
最初は男勝りな感じだったのに会う度に女の子らしくなっている気がする。私の為に可愛くなろうと努力してくれてるんだったら嬉しいな。やっぱり女の子は恋をすると変わるものだよね。
私も……駄目な方向に変わりつつある。男らしくポケットに手を突っ込みながら大きな歩幅で歩き、少しでも男の子っぽく見えるよう意識していた。
それでも私の設定は女の子として日常を過ごしている男の子だ。厳しいお父様にバレないように女性物の服を着て、密かに彼女とデートしているってわけだ。必死で演じていると本当のことのように思えてくるから困る。
何かと考え事をして歩いていたのがまずかったのだろう。私は前方の段差で蹴っ躓き、とっさに着いた手の平と膝を擦りむいた。
「いったぁ……」
「大丈夫!?」
「い、いやあ。今ちょっと最近の政治や経済について考えてたんだ。凛は増税で日本がどう変わると思う?」
凛が心配そうに私の前にしゃがんだ。情けない姿をごまかせないだろうかと口を回らせ、何とか立ち上がって見せた。かすり傷だけど、少し膝を動かすだけでジンジン痛む。
「あぁっ、血が出てる!」
座ったままの凛が私の膝を見て、悲鳴のような声を上げた。確かに傷口から少し血が滲んでいるようだ。
「近くに公園あったよね。傷口を洗いに行こう」
「かすり傷だから平気……ひゃあっ!?」
立ち上がった凛がパンプスを脱ぎ、腰を屈めると私の肩と膝の辺りに腕を回した……と思ったら、私の体を持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこと呼ばれるものをされていることに気付いて女の子のような高い声が出た。
驚いた時は「うおっ」とかの方がいいな。なんて馬鹿なことを考えながらも、私は酷く動揺していた。
「掴まっててね。走るよ!」
「わ、わわっ」
ニコリと優しげに微笑んで、素足の凛が私を抱えたまま走りだす。体が上下に揺れるから慌てて凛の首に腕を回し、掴まった。
私よりずっと広い肩幅。細身だと思っていたが、意外としっかりした骨格をしている。細くて柔らかそうに見えた腕には筋肉が程よく隆起して、私の体重を支えてくれていた。
私の怪我なんかより、素足で走る凛の足の裏の方がよっぽど心配だというのに、私は初体験のお姫様抱っこにときめいている。王子様に助けられたお姫様のような浮かれた気持ちで、彼女の凛々しい横顔を眺めていた。
「安心して。私は絶対に天音くんを落としたりしない」
「う、うん!」
視線に気付いた凛が、小さく笑う。初めて凛を好きになった時以上に動悸が激しくなるのを感じた。
どうしよう。私の彼女……見た目は儚い美少女なのに、中身が男前だ。益々好きになってしまう。惚れ直すってこういうことか。
私は更に強く凛にしがみついた。強すぎない爽やかな香水の香りが鼻をくすぐる。少し男の子っぽいこの香りも大好き。
本当の性別を打ち明けたらこの幸せを失うかもしれない。それがたまらなく怖いよ。あともう少しだけ、秘密にさせて。
「あなたはずるい人だわ。本当はわたくしの思いに気付いてらっしゃるんでしょう?」
「あ、あ、あぁ……ソ、ソフィアよ。わ、私を困らせないでおくれ」
「……カーット。天音くん、真面目にやってほしいんだけど」
「ま、真面目なんですけど!」
クライマックスを前にして、世良くんが冷めた声で物語を止めた。「え?今のが?」とでも言いたげな、まるで虫けらを見るかのように見下した視線が痛い。
演劇素人ながら世良くんの練習に付き合って一生懸命やってるのに文句を言わないでもらいたい。
「酷すぎて僕まで役に入りにくいよ。普段女の子を演じている時みたいに自然な演技をお願い」
「いや、だから私は……ハァー…」
一ヶ月経った今も世良くんは私を男の子だと勘違いしている。もう何度、私は女だと話したかわからない。その度に「はいはい、そういう設定だったね」と信じてもらえないから、最近は訂正するのが面倒になっていた。
文化祭で世良くんの言葉を信じた他のクラスメート達は、とっくに私が女だと認識しているのに。凛に性別を明かす日か、世良くんの誤解が解ける日か、どちらかと言うと前者の方が早く来るんじゃないかな……。
「もう一度同じところから仕切り直すよ。……あなたはずるい人だわ。本当はわたくしの思いに気付いてらっしゃるんでしょう?」
「あ、あぁ……ソフィアよ。私を困らせないでおくれ」
指の先にまで気を配った世良くんの演技が光る。素人の私も、さっきよりは詰まらずに台詞を言うことが出来た。
この物語は演劇部の次の大会の演目で、世良くんは主役の一人であるソフィア役に選ばれたそうだ。
演劇部所属の女子達を差し置いて採用されただけあり、彼の演技は本当にすごい。世良くんは元々中性的な顔立ちだから、衣装を着てお化粧をしたら、美しい娘ソフィアを違和感なく演じきるだろうな。
「あなたには心に決めた人がいるってわかってる……でも……どうか…っ、最後に思い出をください」
世良くんは役に入り込んでいる。放課後の教室を中世のお屋敷に、男子の制服をソフィアのドレスに見紛う程に……今の彼はとても美しく、繊細で、決して叶うことのない恋に焦がれていた。
「おぉ……ソフィア……」
「わたくしは、あなたを……」
ソフィアの台詞の後にキスシーンを挟むんだったな。キスシーンは飛ばすからいいとして。キスシーンの後のソフィアの「今までありがとう。さようなら」の次が、私の台詞か。
世良くんの素晴らしい演技に感動しながらも、私はこの先の流れを頭の中で必死に整理する。せっかくだからこのまま流れを止めずにラストシーンまで行きたい。
「あなたを……愛しています」
私を見つめる世良くんの瞳は切なげに揺れて一筋の涙が頬を伝った。これはあくまで演技だ。本当に告白されているわけじゃないのに胸の鼓動は早くなる。
無言で見つめ合い、やがて世良くんは長い睫毛を伏せて、私に顔を寄せる。瞳を閉じた世良くんの顔が視界いっぱいに広がって。
柔らかな唇がそっと触れ、静かに離れていく……あ、れ……キス……?
私は動けなかった。まばたきも忘れ、目の前の世良くんを呆然と見つめた。
「……あなたを諦める気はありません。あの人から必ず奪ってみせます」
「……え?」
世良くんの鋭い眼光から目が離せない。
ソフィアはたった一度のキスという思い出を胸に秘め、二度と彼の前に現れない。切ない悲恋の物語だ。物語を大きく変えてしまう台詞間違いを世良くんがするなんて――
プルルル
「あっ!で、電話」
「…………」
恐らく凛からだ。世良くんの練習に付き合い始める前に「話があるんだ。後で電話してもいいかな?」という内容のメッセージが届いていた。
世良くんの演技に引き込まれ、ぼんやりしていた頭は凛を思い出したことで正気に戻った。そこで、はたと気付く。
「なっ、なななんでキスしたの!?大会当日以外はしないって言ってたでしょ!」
「ん?役に入ってる時はよくあるんだ。ごめん、ごめん。まぁ、男同士だしノーカウントだよね」
世良くんが笑いながら軽い調子で謝ってくるが、申し訳ないことをしたとは少しも思ってないでしょ。
私は同性と付き合ってるんですよ。その場合は同性だってキスをすれば浮気になるんじゃないか。しかも私と世良くんは、男女だ。
平然としている世良くんと絶望の淵にいる私。温度差の激しい教室に、同性の恋人からの着信が鳴り響く。
世良くんが「出ないの?」なんて悪びれなく聞いてくるもんだから、つい"応答"に手が伸びる。罪悪感と気まずさがあったけれど。
「も、もしもし」
「あっ、天音くん……や、やっぱり話はまた今度でいいかな?事前に連絡までしたのにごめんなさい!」
「う、うん」
電話口で凛が、早口で謝っている。今は落ち着いて聞ける精神状態にないからむしろ有り難いが、話って何だったんだろうか。
実は私は、女装して女の子の振りをして過ごしている男の子の振りをしていた女の子です。嘘をついていてごめんね。あと、クラスメートの男子とうっかりキスもしました。
……これ以上に衝撃的な話をされたら、私の心臓止まるかもしれない。
つまらなそうにしていた世良くんが鞄を肩に掛ける。帰るんだ、と何気なくその姿を目で追いながら、会話を続けた。
「い、いつか必ず話すね。天音くん、大好き!」
「僕も大好きだよ!」
「えへへ……またねっ」
もう、凛って本当に可愛いんだから。私もいつか話すからね。謝るべきことが増えてしまったけれど……私は凛のことが好きだなと改めて実感し、電話を切った。
電話を切ったのと、ほぼ同時だった。廊下へ出た世良くんが振り返る。
「ねぇ、僕はね……天音くんと凛さんの交際の邪魔をしたいんだ。この意味がわかる…?」
あまりにも突然な言葉に、開けるだけ目を見開いた私を世良くんはおかしそうに笑い、帰っていった。
どういうこと?世良くんは、私と凛を認めていない?世良くんは私を男の子だと思い込んでいるわけだから、つ、つまり……
「世良くんって凛が好きだったの!?」
何で?いつから?凛と世良くんに一体どんな繋がりがあるの?もしや、凛が電話で言っていた話が関係してくるとか!?
……恋って本当に複雑だ。頭の中に次々と疑問が浮かんでくるが、私の話も、凛の話も、世良くんの言葉も、きっと海より深い事情があるのだろうと思った。
(あぁ……俺は本当のことをいつ言えるんだろ)
(うぅ……まさか世良くんが凛を好きだったなんて)
(あの二人がもたついてる間に掻っ攫ってやる)
End