自宅に1枚だけ残っていた写真の中にいる8歳の俺は、改めて見ると驚くほどに笑顔がぎこちなかった。
この写真を撮影した母親から、この時「笑って笑って、もっと笑って」と再三せかしたのだと教えられた。にも関わらずこの有様だ。これは笑みを浮かべていると言えるのだろうか。しかめっ面を微かにほころばせているように見えなくもないが、よく見ると視線もカメラに向けられていない。前方のレンズではなく、それより右の、わずかに斜め下を向いているようだ。
その時、その空間に何があったとも思えない。恐らくそこには何も無かった。ただ、言われた通りに前を見据えることに恐怖を覚えていたのだ。それはもちろん「今思えばそうだったかもしれない」という仮説に過ぎないけれど。今の俺には、8歳の時の自分の心情をあまり思い出すことができない。

しかしよくよく考えてみれば、うまく笑えなかったのも無理はない。
気付いた時には自分の父親がこの世から消えていたという現実。仲間(と呼ぶのもおこがましいが。何故なら俺はその人たちから仲間と認められるレベルの関係を築けず終いだったのだ)が次々に殺されていったという現実。できることのなかった友達。次第にぼろぼろになっていく都と我が家。日に日に変わっていくテレビの向こうの光景。そのテレビすら光景を映さなくなった時、ようやく自分の置かれた状況を把握した。自分が投げ出されている世界は、決して笑い飛ばすことなどできない地獄だったのだ。
それを知ってしまった以上、いくら「笑って笑って」と笑顔で言われたところで到底笑顔を見せることなどできない。楽しくもないのに、怖くて悲しくて悔しくてたまらないのに、こんな世界に居たくないのに、どうして笑うことなどできようか。
どうやらあの頃の自分は、母親が体現していた「顔で笑って心で泣いて」という言葉を理解するにはまだ幼すぎたようだ。

母親曰く、この写真は俺の誕生日に撮影したそうだ。背景に写るカレンダーは、誕生日の日付が丸で囲まれているのが分かる。そしてその記念撮影は生まれた時から14年ほどは続けられていたらしい。それなのにあの地獄を乗り越えて手元に残ったのが、8歳の時の写真ただ1枚なのである。これは何の因果だろうか。











眼前で行われている光景に見覚えがあると思ったのは、あの写真に写っている自分の顔が最近ずっと脳裏をよぎっていたからだと思う。

「写真撮るわよトランクス、カレンダーの前に立って」
「え〜、恥ずかしいよ!」
「去年もその前も、ずーっと撮ってたじゃないの。さ、笑って笑って」
「こ、こう?」
「もっと笑って!」

シャッター音の後も、人を入れ替えながら撮影会は続いた。今日の主役である8歳の少年は、ひとつ年下の親友や祖父母、そして父親(予想通り最後まで渋っていたが)と一緒に写真におさまり、心から楽しそうに笑っていた。
セルが死に、この時代には平和が戻り、俺が生きてきた地獄のような日々とは全く異なる歴史が動き出していた。
過去に来てしまったことで少しずつ変化していった歴史は、未だ心の中にくすぶる反省や後悔に反比例するかの如く、良い方へ良い方へと歩みを進めていた。それは目の前にいる「この世界の」トランクスが浮かべる表情を見ていればよく分かる。

この家にはプリンターがあり、撮影した写真をその場で印刷することができる。俺はそれを興味津々で覗き込んでいた。「向こうにもプリンターくらいはあるわよね?」と若い母親に微笑みながらそう言われ、少しばかり恥ずかしくなった。そんなやり取りの間に、写真が次々と印刷されてきた。食い入るようにそれを見つめる。俺が気になっていたのはプリンター自体ではなく、写真に写されたその少年の表情だった。
カレンダーの前に立たされて撮影されたトランクスは、自分自身と自分を取り巻くこの世界とをまるごと肯定したような、力強い笑顔を見せていた。そこにはあの時の俺からにじみ出ていた、取り巻く世界に対する恐怖や絶望は微塵も感じられない。
もっとよく見ようと思い、写真を手に取った。まっすぐにカメラのレンズを射抜くトランクスの自信に溢れた眼差しが、俺の心の奥底まで深々と突き刺さってきた。そしてそれは、同じような状況で写真に写った8歳の俺をも掻き消してしまったような気がした。
これが平和ということか。周りに聞こえないように独り言を言った俺の腕に、小さな腕が絡み付いてきた。はっと我に返り、腕の主を見る。トランクスだった。

「どうしたんだい?」
「ね、ね、一緒に写真撮ろうよ」
「え?」

若い母親がカメラを持ったまま楽しそうに笑った。そしてトランクスの頭をぐしゃぐしゃ撫でてから、俺の肩を小突いた。

「お願い、一緒に写ってあげて。この子、あんたのことが大好きなのよ」
「……え?」

再び言葉に詰まってしまいトランクスを見た。「言わないでよ〜!」と頬を赤らめて母親に抗議しながらも、その手は俺の手をしっかり握りしめている。随分温かい手をしているなと思った。ほんの少しだけ握り返してみると、負けじと痛いくらいにぎゅうぎゅう握られ、そのままカレンダーの前に連れていかれた。トランクスはうろたえている俺の顔を見上げていたが、目が合うとすぐに逸らし、照れたように繋いだ手をぶんぶん振った。

「さぁ撮るわよー!こっち見て、笑って笑って!」

若い母親の声に慌てて顔を上げた。誕生日に自分が撮影されるのは何年ぶりだろう。前を見ることができなかった8歳の自分の表情が脳裏をちらつく。それと入れ代わるように、先程見た「この世界の」トランクスの表情が頭をかすめる。繋いだ手から伝わる体温が、それをよりはっきりと思い出させた。
シャッター音がした。俺はまっすぐにレンズを見ていた。たぶん、顔は笑っていただろう。ここにいるトランクスのように、笑っていたのだろう。若い母親が親指を立てていたのがその証拠だ。俺は手を離さないでいるトランクスを抱き上げ、もう1枚撮影してくれるように頼んだ。










焼き増しした写真をもらって、故郷に帰った。トランクスがひとりで写っている写真と、俺が一緒に写った2枚の、計3枚だ。帰りを待ちわびていた母親に早速見せてあげた。
あの当時、8歳の俺はまっすぐ前を見ることができず、笑うことすらできませんでした。でも、母さんが作ったタイムマシンで過去に行って歴史を変えることができたおかげで、向こうのトランクスはこんな笑顔で生きていられるんです。
そう告げたところ、今まで心で泣いていても顔では笑ってきた母親が、ついに大粒の涙をこぼして奥の部屋へとこもってしまった。

リビングに残された俺は、テーブルの上に投げっぱなしになっていた3枚の写真のトランクスをぼんやりと眺めた。ふと思い立って、引き出しにしまっていた自分の写真を隣に並べてみた。やはり同じ8歳なので見た目はそっくりだ。写真の構図もほぼ同じだ。だがこうして並べると、頭の中で描いていたよりも表情の差が歴然だった。
世界を否定し、笑顔ひとつ作れない俺。世界を肯定し、とびきりの笑顔を見せるトランクス。そんなトランクスと手を繋ぎ、彼と同じように笑ってみせた今の自分。そんな今の自分を、あの頃の俺はどう思うだろう。「お前ばかりが何故笑う」などとは思っていないだろうか。

ふいに涙があふれてきた。よく思い出せなかったはずの当時の心境がようやく甦ってきたような気がした。平穏だった日々から置き去りにされたという心細さを感じて身震いがする。もしかしたら今の自分も、あの頃の俺を置き去りにしてしまったのかもしれない。
それでも俺の手はあのトランクスの手の温かさを覚えていて、それを自覚するたび、地獄のような日々を生きていた8歳の俺とも手を繋いであげたかったと思うのだ。












ブウ編が始まる前に、未トラが現代に来ていた設定の捏造話。

プリンターって…。
あと、未トラの年齢がよく分かりません。






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